gooの「なんとなく信じちゃっていた都市伝説ランキング」のベスト10には、次のようなものが並んでいる。
1位:富士の樹海では方位磁針が正常に動作しない
2位:病院での死体洗いのアルバイト
3位」「ゆとり教育」世代は円周率を3と習っている
4位:3人で写真を撮ると真ん中の人が早死にする
5位:警察署の取調室ではカツ丼が出る
6位:○○公園の池のボートに恋人同士で乗ると、別れる
7位:しゃっくりが100回続くと死んでしまう
8位:借金返済のためマグロ漁船に乗せられる
9位:ネコを電子レンジで乾燥した人がメーカーに対して裁判を起こした(「猫レンジ」)
10位:皮膚呼吸ができなくなると死ぬ
並べてみてみると、改めて「友達の友達の話だけど」ないしは「友達の親戚の話だけど」で始まる都市伝説は、どうでもいい。どうでもいいし、ほのぼのとしたゆるーい幸福感すら伴っている。
では、なぜ、それは広がる力を持つのか? 「友達の友達」の話をすることに、人間は、潜在的に何らかの意義を感じているからではないだろうかと思う。「友達の友達」は実際に見たことも、会ったこともないけど、そこには何らかの力が働いているはずだ。
そこで、こんな面白い実験研究を紹介する。コレステロールが高いと心血管系異常の危険性が高くなるとか、タバコを止めると脳卒中や冠動脈疾患、肺がんのリスクが減るなんていう研究発表をしている有名な機関のニコラス・クリスタキス教授の研究論文に、「広い社会的ネットワークにおける幸福の力動的伝播について:フラミンガム心臓研究における20年間の長期的分析」というのがあるらしい。調査対象12067人で行った「幸福の力動的伝播」の研究結果は、以下の通り。
直接的につながる人々が幸福であるほうが、自分も幸福になりやすいという傾向はあるものの、その差はそう大きくはなく、友人を例に取ると、友人の友人、友人の友人の友人までは、はっきりとした幸福化作用が働くという。
これは社会的距離だけでなく、住居の距離、また時間的な間隔でも、結構離れていても同じことが言えるらしい。不思議なことに、仕事仲間では、こうした関係性がまったく認められなかったと言うことだ。
つまり、直接は名前も知らない友人の友人の友人が幸福なら、自分も幸福になりやすく、それは10数キロ離れたところに住んでいる人であっても、2年ほど前に幸福であることを知っているだけでも、統計的優位な「幸福化」作用が働くということだ。
「幸福化」作用を見ると、もっとも効果が強いのが「近くに住む親しい友人」で、次が「隣人」、その次が「近くに住む普通の友人」、その次に「近くに住む同朋(どうぼう)」が来て、「一緒に暮らす配偶者」は5番目、というのが一番の笑いどころ。
幸せな友人たちと付き合い、見知らぬ幸せそうな人と道端ですれ違い、幸せな隣人に囲まれていれば、不機嫌でイラついた不幸せな嫁さんと暮らしていようと、幸せでいられるということのようだ。ちょっと距離を置いた他者のほうが、より感情的な影響性を与えられるというのは確かに感じることなので、その辺が社会的な側から示唆されていると言うことなのかも。とある。
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