大学は「自分の知らないこと、自分のできないこと」と効率的にアクセスできる青春のプロバイダーであるべきだ。育てるべきは貯蓄する若者ではなく、自己投資するバカ者だ。
現実的で保守的な無難な学生の大量生産を続けても、大学全入時代の大学経営は乗り切れないはずである。なぜなら企業経営にとって、「上昇志向の見えないプライド」ほどやっかいなものはないから。彼らは、コントロールも、マネージメントも、ひどくやりづらい労働者であるから。
最近、某広告代理店の中堅の営業マンに今年の新入社員評を聞いた。そこで、こんな面白い話が出た。ゴルフコンペでの出来事。新入社員のティーショットが、全員、しょぼいと言うのだ。誰も「ブンッ」と振らない。アプローチで何度も素振りをして、確実に、当てる。そして結果は、誰もたいしたことない。
「ブンッ」と振れっと言っても、誰も「ブンッ」と振れない。そう嘆いていた。
そのコンペでの新入社員に無難な結果なんて求めていない。その無難な結果は、何も産み出さない。
そこで社会評価を得るためには「ブンッ」と振ることなのだが、自分のできることのフレームから抜け出せない。そこで「ブンッ」と振ることによる社会評価と、その行為からつながるはずの上司達との「未知の関係」が想像できない。
自分の今できることを100%出し切っても面白くない。自分のできないことをやろうとする姿や心意気が、社会的上昇のチャンスをつかむ要諦(ようてい)だ。そして、そのつかんだ道筋が、その人間の能力となって蓄積される。
「講義ノート屋」でショートカットした試験勉強の時間は、自己投資に使え。そんな学生の多い街の「講義ノート屋」は、たぶん潰れない。ただ、単位をとるためだけに「講義ノート屋」が存在していたなら、今回の凋落も、時代の、当たり前の道筋である。(中村修治)
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