採用試験の謎を解け!――企業側から見た新卒採用戦略現役東大生・森田徹の今週も“かしこいフリ”(2/2 ページ)

» 2009年06月09日 07時00分 公開
[森田徹,Business Media 誠]
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面接では何を見ているのか?

 大半の会社では3次あるいは4次までの面接が行われる。1次だろうと3次だろうと同じ事が問われているような気がする面接だが、裏ではどのような意図が働いてこのような設計になっているのだろうか。

 まず、1次面接は大抵の場合、“足切り”のためだそうである。量重視の企業だとESでは下位2割と判定できない限り落とさないので、ここで数を絞ることが重視される。多くのケースでは若手社員がいくつかのポイントのみチェックすることを命じられている。目を見て話をできるか否かなどの“コミュニケーション力”、仕事への姿勢などの“コミット力”、また企業によっては“見た目”や“従順であるか否か”もチェックされるようだ。確かに、某化粧品メーカーの女性社員は誰もが見目麗しいという話は聞いたことがあるから、そういったチェックが入る企業もあるのだろう。

 次に2次面接である。1次同様足切りが2回続くこともあるが、1次で足切りが終わっている場合、ここから人事部門の“プロの目”による選抜が始まる。性格診断や事業への適合性などから、事業に対する理解度、常識理解まで「各事業部担当者に上げるに当たって必要十分なレベルに達しているか」を測る段階である。

 最後に各事業部門による3次面接と、部長や役員クラスが行う最終面接についてである。前者は、2次面接で人事部門が「大体どの部署で使えそうだ」という大まかな分類をしたものに基づき、その部署の担当者が実際に現場で使えそうな人材か否かを判断する段階である。就職で最も“ご縁”がモノをいう段階だ。

 基本的には、現場の責任者クラスが行う3次面接でほぼ選考は終了し、最終面接は建前上の最終確認になるケースが多いようである。「人事部としては、上の人に無駄な時間を使わせてしまうのは何よりの失態と考えて、最終面接は無難に受け答えしてくれればそれで十分、という場合がほとんどでしょう」(浦野氏)だそうである。

 そういえば最終面接で「第1志望は我が社ですか?」と問われ、「いいえ、他社の○○です」と本音で答えたために「なぜか内定がとれない」と嘆いている知り合いがいたが、社会で必要とされるのはやはり本音と建前。社会人としての技量が問われる面接の場でも、それがきちんと使いこなせなければダメということだろうか。なかなか、難しい話である。

定性評価と協働性

 ここまで話を聞いて感じたのは、戦略コンサルなど一部を除く大半の企業はとても曖昧な評価基準で定性評価を行って新卒を雇い、それで企業という1つの独立した組織体系が回っているという事実の不可思議さである。一時期、成果主義の導入で日本企業が浮き足立った時期に、新卒採用の場で定量評価が流行ったという話もあまり聞かない。点数と偏差値という高度に完成された定量評価基準で選抜を受けてきた我々大学生にはやや違和感を覚える選定方法だが、それでいいのだろうか。

 「ほとんどの企業において、組織がそれで回っているから、採用もそうなっているのだと思う」というのが浦野氏の返答だ。個々人の能力に基づく、結果のみを求める雇用における定量的評価は一見合理的で美しく完成されているように思える。しかし、たいていの仕事はそこまで高度にモジュール化されているわけでもなく、結果がすぐに出る訳でもない。それは筆者が社会人の真似事をしてありありと実感したことの1つである。また、モジュール化はおろかコモディティー化されていない仕事の結果の定量評価基準を作成すること自体が、実際には異常なほど手間がかかる。

『街場の教育論』(内田樹、ミシマ社)

 そのような場においての定性評価で問われるものとは何だろうか? たまたま手に取った教育論の書籍『街場の教育論』(内田樹、ミシマ社)が1つの答えを提示していた。

  いわく、「就職活動の場とは、厳密な意味で上下差が付く“選抜の場”ではない」。能力が高い人が受かり、低い人が落とされるとは限らない。「一緒に働いて大丈夫そうだ」「楽しそうだ」「長く付き合えそうだ」……問われるのはそんな“協働性”だ。大して成績もよくなかったし、サークル活動を熱心にやっていたわけでもない、大学時代にやっていたことと言えば飲み会と合コンぐらい――そういう人がいくつも内定をとってくる、それが現実だ。

 今回の取材を通して、自戒をこめてこれからの就活生として再確認することがあれば「面接なんて、受ける側の能力次第でどうこうできるわけではないのだから、落とされても“縁がない会社”だと思って過剰に気にするな」ということだろう。成績など、能力を問われる定量評価に慣らされてきた我々は、評価基準があいまいだったり、能力の上下でなかったりすることに、どうしてもある種の気持ち悪さを感じてしまう。しかし「それで回っているから、そうなっているのだと思う」という浦野氏の言葉の通り、我々がこれから身を投じる社会は、不合理で、理不尽で、運やコネがモノを言ってくるそんな世界ということなのだろう。せいぜい、筆者もそんな世界の片隅で小銭をかせぐために、うまく立ち回りたいものである。

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