『週刊大衆』の編集長はこう考える、ヤクザと正義とヘアヌード集中連載・“週刊誌サミット”(1/3 ページ)

» 2009年06月03日 08時30分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

 1958年に創刊された『週刊大衆』(双葉社)はヤクザ、スキャンダル、ヌードが売りだ。ライバル誌は『週刊アサヒ芸能』(徳間書店)、『週刊実話』(日本ジャーナル出版)、『実話時代』(三和出版)などが挙げられるが、中でも『週刊大衆』は娯楽のページ数が多い。

 「ヤクザの記事には興味がない」という人にとっては、手に取ったこともない雑誌だろう。昨今の週刊誌不況の中で、1990年に23万部だった実売部数が、2008年でも21万部と健闘している『週刊大衆』。とはいえ部数が減少傾向にある中で、大野俊一編集長は何を考えているのだろうか? 

※この記事は、5月15日に開かれた“週刊誌サミット”の内容を掲載しています。

ヘアヌードは社会的に良いのか、悪いのか?

元木昌彦(司会):私が「ヘアヌード」※という表現を作ったわけではないが、このところ猥褻(わいせつ)表現がかなり少なくなってきている。もちろん自主規制というものが、背景にあるのかもしれない。

 こうした状況の中、『週刊大衆』は部数的に言っても「頑張っている」と言ってもいい。時には『週刊現代』を抜くこともあるが、大野編集長には好調の秘密などについてお話をうかがいたい。

大野:自分で言うのもヘンな話だが、「『週刊大衆』は雑誌ジャーナリズムではないんだろうなあ」と思っている。そう思っているため、私の感性の中には「これが正義」だとか「こうしなければいけない」というような気持ちはない。毎週、ネタを選んで、台割を埋めていって、ヘアヌードをやっているが、私の中に「正義」がないのだ。

 また東京都庁に『アサヒ芸能』『週刊実話』『週刊大衆』が呼ばれ、3誌がまとまって「反論」に行くこともある。しかし、こういったときでも、私は「非常に楽しい」と感じている。

 ヘアヌードが社会的に「良いものか悪いものか」と聞かれた場合、私には結論が出せない。しかしヘアヌードを出し過ぎれば、「『出すな』という人が現れるだろう」と考えていて、それが東京都なのだろう。

※元木氏は『週刊現代』の編集長時代、ヘアヌードを積極的に掲載した。

文化の多様性が好き

 週刊誌の編集長として、何のために雑誌を作っているかといえば「文化の多様性が大好きだから」だと答えている。私は雑誌を作りたくて出版社に入社して、運よくその仕事をしている。これは個人的な“使命感”だと考えている。その多様性をもっと多様にしたいという思いから、ヘアヌードをめぐって都庁の人とやりあっている。ときには、ことさら芝居がかって大きな声を出す……ということも楽しんでやっている。

 ヘアヌードのどこがいけないのか? と都庁の人に聞くと、「自然なヌードならいいです」と答えてきた(会場内笑い)。じゃあ、自然じゃないヌードとは何か? といった質問になり、結局は“水掛け論”になってしまう。

 最後は笑うか、怒ったフリをして「あとでいろいろ教えてくださいよ」といって、その場のお茶を濁す。とりあえず、これくらい(都庁を相手に)やっておけば「半年は(文句を言ってこないだろうから)大丈夫だろう」と考えている。

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