インタビュー
» 2009年05月26日 08時00分 UPDATE

集中連載・週刊誌サミット:裁判だけではない……写真週刊誌を追い込む脅威とは? (1/2)

1980年代に世間をにぎわせた写真週刊誌。大手出版社が相次いで写真週刊誌に参入したが、現在では『フライデー』と『フラッシュ』しか残っていない。厳しい状況が続いている中、今年の2月に就任した『フラッシュ』の青木編集長が心境などを語った。

[土肥義則,Business Media 誠]

 1980年代に世間をにぎわせた雑誌といえば、写真週刊誌だろう。1981年に創刊した『FOCUS(フォーカス)』(新潮社)を皮切りに、『FRIDAY(フライデー)』(1984年、講談社)、『Emma(エンマ)』(1985年、文藝春秋)など、大手出版社が相次いで写真週刊誌に参入した。

 写真週刊誌は従来の週刊誌にはない過激な写真・記事で、急速に発行部数を伸ばしていった。しかし脱法行為ともいえる撮影や取材対象者のプライバシー侵害などの問題を引き起こし、ブームは一気に縮小。そして『エンマ』(1987年)と『TOUCH(タッチ)』(1989年、小学館)がそれぞれ廃刊、2001年には『フォーカス』が休刊に追い込まれた。

 現在、写真週刊誌で残っているのは『フライデー』と『FLASH(フラッシュ)』(光文社)の2誌のみとなっている。ライバル誌が休刊・廃刊に追い込まれていく中、2009年2月に就任した『フラッシュ』の青木宏行編集長が、現在の心境などを語った。

※この記事は、5月15日に開かれた“週刊誌サミット”の内容を掲載しています。

 →『アサ芸』を追い詰める極道、司法、部数減……。残された道はアレしかない

 →なぜ週刊誌は訴えられるようになったのか?

 →相撲八百長疑惑の記事に4290万円。しかしまだ戦える――『週刊現代』加藤晴之前編集長

5年前と比べ、手間がかかるようになった

yd_aoki.jpg 『フラッシュ』の青木宏行編集長

元木昌彦(司会):現在、写真週刊誌は『フラッシュ』と『フライデー』しか残っていない。20年くらい前にはFF戦争※1……フライデーVS. フォーカスの雑誌が競い合っているとき、両誌合わせると部数は400万部あった。この数字を抜く雑誌は今のところ出ていない。さらに『フラッシュ』『エンマ』『タッチ』を合わせると、写真週刊誌のマーケットは600万部あった。

 しかしその後、『フォーカス』などが消えていった。現在、部数は両誌合わせて……武士の情けで言いませんが、相当落ち込んでいる。またフライデー編集部は6月の人事異動で9人も減ることが決まった。(人事異動は)あくまで予定なのでハッキリしたことは分からないが、『フライデー』も厳しい。

 一方の『フラッシュ』はこの冬に青木さんが編集長に就任したが、今は大変厳しい時期だ。青木編集長には今後の方針なども含めて、お話をうかがいたい。

青木宏行:今年の2月に編集長に就任した。22年前に『フラッシュ』が創刊されてから、半年後に僕は『フラッシュ』に配属された。当時は「ビートたけし事件」※2が起きた直後で、写真週刊誌バッシングという厳しい中で働いてきた。

 『フラッシュ』で16年間働き、その後は別冊の『フラッシュEX』(2008年10月に休刊)を5年間担当してきた。そして今年の2月に、5年ぶりに『フラッシュ』に戻ってきたわけだが、本当に5年前と比べ状況が大きく変わった。記事の作り方や取材の仕方など、まったく違う。別冊(EX)である程度は見ていたが、実際に(フラッシュで)働いてみると「こんなに違うのか」と感じた。

 裁判の高額賠償金の件や2005年から施行された個人情報保護法によって、とにかく取材がやりづらくなった。例えば学校の卒業アルバムに載っている写真を取ってくるのも、5年前と比べ何倍もの手間がかかるようになった。

※1:1981年に『フォーカス』、1984年に『フライデー』がそれぞれ創刊された。その後、『フォーカス』と『フライデー』による激しいスクープ合戦が繰り広げられた。
※2:1986年、ビートたけし(本名:北野武)と交際していた女性が、フライデー記者に取材を受けた際、軽症などを負った。常軌を逸した取材を受けたため、たけし側は『フライデー』に謝罪などを求めた。しかしこれらを拒否されたため、たけしとたけし軍団らが出版元の講談社を襲撃した。「フライデー襲撃事件」とも呼ばれている。
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