元木:佐野さんは「週刊誌の編集者が劣化している」と指摘されたが、もう1つの問題は雑誌の部数減少や赤字などがある。光文社は『月刊宝石』と『週刊宝石』の両方を休刊にしてしまったが、出版社の経営者に覚悟はあるのだろうか? ひょっとして出版不況の名の下に(経営者の質も)劣化しているのではないだろうか?
佐野眞一:出版というのはPublicが語源で、つまり公共のものなのだ。雑誌は経営者のものではなく、編集者のものでもない。社会のものであるはずなのに資本の論理の下で、ヘナチョコ頭を使ってバランスシートで解決してしまう。休刊となった『月刊現代』『月刊プレイボーイ』『論座』『諸君』では、(編集者と経営者が)戦った痕跡すら見えない。(編集者は)唯々諾々と押し切られてしまっている。これは常識的には考えられないことだ。つまり「雑誌というものは社会のものだ」という認識が欠けているからだと思う。
損害賠償が高額化しているが、「お前ら泣きごといってんじゃねぇよ」というのが僕の意見だ。また「しっかり調べねぇからだ」とも思っている。
僕は過去に中内ダイエーから2億円、訴えられた※。裁判は7年間続いた。向こうは名うての辣腕弁護士だったが、とことんやりあった。敵は「佐野がどこまで調べたのか?」という視点で突いてくる。僕は中内ダイエーに関する登記簿を、ダンボール10箱分持っていた。そして(関係者に)500人会った。原告側はその裏を取るために足を棒にして、調べていった。しかし次々に跳ね返されていった。つまり「佐野はそこで裏取りをしているんだ」ということが分かってくると、原告と被告の関係が逆転していったのだ。そして裁判所側も、(裏取りしていることが明らかになっていくと)風向きが変わっていった。
『カリスマ――中内功とダイエーの「戦後」』という本でも書いたが、中内ダイエーについては歴史が審判を下した。中内ダイエーは産業再生機構に飲み込まれ、歴史から消えてしまったのだ。僕は中内さんという人が今でも好きだが、やはり歴史の審判が下った。やや説法的な言い方かもしれないが、(書き手は)遠いところを見ながら、やっていかなければならない。
朝青龍の八百長問題※について、読者はそんなに関心を持っているのだろうか。そのあたり……(編集者の)“感度”の鈍さがあると思う。
田原:僕は防衛省の問題で、名誉毀損で訴えられた。結局2年かかったが、しょっちゅうそういう裁判をやっている。『週刊現代』の八百長問題でいえば、本当はあれは週刊誌が連帯しなければならない。ところがどういうわけかメディアは、足を引っ張り合うことしかしない。
最近でいえば拉致家族の家族会が僕のことを批判した※。そのことを全新聞が書いたが、どの新聞も僕が何を言ったか、については関心がない。ただ家族が批判した、それだけ。問題の本質はどこにあるのか。なぜ僕がああいうことをいったのか。取材をしてこない。本来であれば週刊誌が僕のところに取材に来るべきだ。
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