編集長は度胸がない+愛情がない……週刊誌が凋落した理由(前編)集中連載・週刊誌サミット(3/3 ページ)

» 2009年05月19日 09時08分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]
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週刊誌やフリーランスに規制

上智大学教授の田島泰彦氏

田島泰彦:まず週刊誌だけではなく、日本メディアに対する規制問題について話をする。ご存じの通り、1990年代の終わりから2000年以降、一連の表現規制・メディア規制という大きな流れが我々の国を覆っている。象徴的なのが「個人情報保護法」※1という法律だ。

 大きな流れの中で私が感じていることは、規制をしたい側は嫌なところを攻めているということだ。差し障りのないところについては、あまり規制をしていない。語弊があるかもしれないが、今のメインストリーム系のメディア……新聞やテレビなどを規制しようとは考えていないのではないか。ちょっと差し障りのあるところに、“お灸をすえてやる”という流れが顕著になってきている。

 どういうところで見られるかというと、メディア自体ではなく、個人にますますターゲットが向かっている。メディアの場合には資金的に持ちこたえられるところが多い。しかしフリーの人たちはメディアを通して活動するわけだが、ある問題が生じた場合、メディアだけではなく、個人もターゲットにされる。一番ひどいのはオリコンをめぐる訴訟※2で、訴えられた烏賀陽(うがや)さんという人は書いた人ではなく情報源のような役割。肝心要の雑誌『サイゾー』を問わず、情報を提供したジャーナリストに矛先を向けた。

※1 2003年5月23日に成立、2005年4月1日に全面施行。法律の中で「放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関」が「報道の用に供する目的」で取り扱う個人情報については「義務規定」を適用しないとしているが、出版社やフリーランスのライターには明記されなかった。
※2 2006年4月号に掲載された『サイゾー』でのコメントが事実誤認の誹謗中傷に当たるとして、音楽情報配信会社オリコンはコメントを寄せたジャーナリストの烏賀陽弘道氏を名誉棄損で訴えた。

 (訴える)相手はメディアだけでなく、個人も相手にするケースが増えている。個人がターゲットにされると、裁判の対応をしなければならず仕事ができなくなる。しかも経済的な負担も大きい。弁護士も雇わなくてはいけない。要するに「仕事やるな」ということになってしまう。

 もう1つの規制の流れは、報道をしたり、公表したりする場面だけにはとどまらないということ。発表する前の前の段階で規制のターゲットが向かっている。分かりやすくいうと、情報源自体を規制の対象にしている。フリージャーナリスト草薙厚子(くさなぎ・あつこ)さんのケース※1で問題なのは、情報源の医者に対し、これまで発動されたことがない秘密漏洩罪(ひみつろうえいざい)※2で逮捕し処罰を求めたことだ。

※1 奈良県田原本町の母子3人放火殺人事件を題材にした単行本をめぐる供述調書漏えい事件。刑法の秘密漏示罪に問われた精神科医・崎浜盛三被告に対し、奈良地裁は懲役4月、執行猶予3年の有罪判決を言い渡した。
※2 刑法134条で医師、薬剤師、助産師、弁護士、公証人の他、過去にこうした職にあった者が、業務で知り得た秘密を正当な理由なく漏らすことを禁止している。被害者の告訴が必要な親告罪。罰則は6月以下の懲役または10万円以下の罰金。

 報道する前の段階で「押さえよう」という発想――つまり情報を持っている役所や権力が情報を秘匿して出さないという、運用が広がっていった。個人情報保護法問題というのは公表するだけの問題ではなく、情報全体をもっと前の段階で出さないというメカニズムになっている。そして、ますますそういう方向に向かっている。

 さらに損害賠償の高額化という問題がある。『週刊現代』では4000万円を超える金額を訴えられたが、10年前ではせいぜい100万円単位だった。100万円取れれば「多い」といわれてきた。それが清原選手のケース※を機に、500万円、700万円、1000万円と出てくるようになった。

※当時、巨人の清原和博選手が『週刊ポスト』記事で名誉を傷つけられたとして、発行元の小学館に5000万円の損害賠償を求めた。これに対し東京地裁は、小学館に1000万円の賠償などを命じた。

 今年に入っての新しい動きとして、責任を問われるのは会社や編集の責任者だけではなく、社長も責任を問われることになったことが挙げられる。これが何を意味するかというと、社長が編集のあり方にチェックしていないと、過失責任を問われるということ。要するに編集に対し、経営者は責任を担わないといけなくなる。当然、経営者に責任があるということになると、権限を持つということになる。これはかなり危ない状況になってきている。

 また謝罪広告というのは、これまで「○○が誤りだったので、すいませんでした」という形式だった。しかし今年になってからは「取り消し広告をせよ」ということが、裁判所の判断として出された。裁判所が取り消しまでさせるという動きがあり、これは限度を超える規制だ。

 ここでメインストリームのメディアが規制に対し、対峙(たいじ)できるかというと、なかなかできない。そして一番弱いところ……週刊誌やフリーランスのライターのところに、過剰な規制の網を仕掛けてくる。こういうことに対し、市民と週刊誌が「それは許さない」と訴えることがどこまできるのか、ということが問われている。

 →後編に続く

週刊誌の部数の推移(単位:万部、出典:シンポジウム資料)

雑誌名 1990年 1995年 2000年 2005年 2008年
週刊朝日 45 39 32 22 17
サンデー毎日 25 21 13 9 7
週刊アサヒ芸能 33 31 22 18 12
週刊新潮 54 53 52 52 44
週刊現代 56 73 65 50 26
週刊文春 63 68 64 58 51
週刊ポスト 70 84 66 45 30
週刊大衆 23 26 36 24 21
週刊プレイボーイ 68 51 42 34 22
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