編集長は度胸がない+愛情がない……週刊誌が凋落した理由(前編)集中連載・週刊誌サミット(2/3 ページ)

» 2009年05月19日 09時08分 公開
[土肥義則,Business Media 誠]

あえて付け加えれば「愛情がない」

ノンフィクション作家の佐野眞一氏

佐野眞一:さきほど田原さんが「度胸がない」と話していたが、僕もまったくその通りだと思っている。あえて付け加えれば「愛情がない」のだと思う。

 ちょっとすごいことを言います。これは今日(5月15日)の日本記者クラブで話したことだが、つい最近心が凍るような出来事があった。それは『週刊新潮』問題だ。僕は『週刊新潮』に関し、『世界』で書いたほか、『毎日新聞』でも「お前らなっちゃいない」「謝罪でもなんでもない」などと書いた。これを受け、ある新潮社の幹部は「佐野の本は売るな!」という、とんでもない発言が僕の耳に入ってきた。僕はこのことを聞いたとき、本当に心が凍った。ひとことで言うと「情けなかった」

 僕の私怨(しえん)でもって、『週刊新潮』を批判したことは1度もない。愛情をもって書いたつもりだ。「お前ら立ち直ってくれよ」という思いで書いた。しかし(新潮社の幹部から佐野は)「ドブに落ちた犬を撃つようなことをやっている」という発言も聞いた。とんでもない話だ。僕は「ドブに落ちた犬をドブ泥をかぶりながら救い出し、タオルで犬を拭いてやっている」と思っていた。

 さきほど言った「愛情がない」という意味は、もし『週刊新潮』に再生してもらえるのならば「本当のことを書く」ということだ。しかし、まだそれを誰もやっていない。(『週刊新潮』問題では)重大な虚言がたくさん散りばめられている。例えば米国大使館の何某に対し※、『週刊新潮』は多額のお金を払っている。これは口止め料だろうが、この件について誰も追及していない。

※『週刊新潮』は、朝日新聞「阪神支局」の襲撃を依頼した人物は「米国大使館の駐在武官」としている。

 僕は何も『週刊新潮』を潰すために書いているのではない。「(他のメディアも)そういうところから立ち直ってくれよ」ということを書くべきで、「ああでもない」「こうでもない」と書くのは愛情がないからだ。もっと突っ込んで報道する必要があり、それしか(『週刊新潮』の)再生の道はないと思う。

 本当に今の気持ちは、「情けない限り」で一杯だ。しかしこういう問題は、メディア同士で批判しなければならない。だが同業他社だからといって手心を加えるというのは、それは“八百長”だ。そういうことが読者に見破られているのではないだろうか。誤解を招くかもしれないが、今の出版状況は編集者の劣化が招いた、と思う。それに比べ読者というのは、大変賢明な存在だと思う。僕はそういう読者の声を山ほど聞いている。つまり読者は、おいてけぼりになっている感じがしてならない。

 例えば『週刊新潮』問題にいえることだが、この程度のことをエキセントリックに鬼のクビを獲ったかのように報道すれば読者は付いてくるだろう、という(編集者の)考えはとんでもない。読者をバカにすれば必ずしっぺ返しがくるだろう。

 その大きな1つの例が今、我々の目の前にある。それが『週刊新潮』問題だ。(『週刊新潮』は)新しい編集長になったが、この問題をスルーしようとしている。言論人という言葉は大嫌いだが、言論人の成長を問われるものだとも考えている。

 『週刊新潮』でも何人かの寄稿家が書いている。櫻井よしこさんや福田和也さんなどがいるが、『週刊新潮』問題を論じていないのはいかがなものか。もし『週刊新潮』の編集部が「スルーしてくれ」と言っていたら、大問題だ。さらにそれを唯々諾々(いいだくだく)と「分かりました」といえば、もっと大きな問題だ。なぜこの問題を誰も取り上げないのだろうか。僕はこのことについて、不思議に感じている。

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