一次産業を、かっこよくて感動があって稼げる3K産業に――みやじ豚.com 宮治勇輔さん嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/5 ページ)

» 2009年05月09日 15時30分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

この9年で、養豚農家は3割減った

 “豚”という言葉を聞いて、どのような言葉を連想するだろうか。くしくも今は“豚インフルエンザ”が話題沸騰中だ。これまで長い間、「豚小屋」「豚の餌」という言葉がネガティブなニュアンスで使われていたことからも明らかなように、豚は劣悪な環境の中で、劣悪な餌を与えられて飼育されることが多かったようだ。

 なおかつ、価格決定権のない養豚農家の利幅は薄く、経営的にも楽ではなかった。飼料も値上がりが続いている。「養豚業では食っていけないということで、過去9年間で、養豚農家は3割も減っているんです」

豚舎で見た豚たちは、大声で鳴いたり争ったりすることもなく、リラックスしたようすなのが印象的だった

 問題はそれだけではない。豚肉に限らず肉はどんな肉であれ、生産者がせっかく愛情を込めて育てても、出荷後は他の生産農家の肉と一緒にされて、最終的に、どこの誰にどういう風に食べられているのかも知ることはできなかったのである。

 一方、エンドユーザーである我々生活者も、どこの誰が、どういう環境や方法で飼育したのか分からない肉を食べざるを得ない状況下に長く置かれてきた。

 食肉の流通をめぐる、こうした複雑かつ不透明なシステムは、やがて流通側に「どうせ世間には分かりゃしない!」という姿勢を生み、偽装などの不正を生む温床にもなってゆく。2008年に続々と発覚して摘発された、「ミートホープ」「飛騨牛」をはじめとする肉をめぐる偽装事件の数々も、そうした背景に起因するものであろう。

 これら一連の事件発覚は、日本の生活者が本物志向をより強め、企業に対してはディスクロージャーや製造物責任を厳格に求めるようになった結果であった。食肉を含む一次産業関連企業の摘発が著しく多かったのは、これらの業界がそうした社会の価値観の変化に必ずしも敏感でなく、旧態依然たる体質のところが多かったからに他なるまい。

 時代は、変革者の登場を待ちわびていた。そして、そこにぴったりとはまったのが宮治さんだったのである。

安心・安全な「お互いの顔の見える経営」

 しかし宮治さんは、最初から養豚農家を営んでいたわけではない。

 1978年に生まれた彼は、家業を継ごうという気持ちもなく、1997年、慶應義塾大学総合政策学部に入学。2001年には、大手人材派遣会社のパソナに入社して、第一線のビジネスパーソンとして多忙な日々を送っていた。そんな彼が、家業の養豚業を継ごうと決断するに至るまでには、2つの契機があったようだ。

 「大学時代に友人たちを招いてバーベキューパーティをやったところ、『こんなにうまい豚肉は食べたことがない』って言われたんですよ。うちの豚ってそんなにうまかったのかぁ、って感動したのもつかの間、『この肉、どこに行けば買えるの?』って訊かれてハッとしたんです」

 彼も、彼の父親も、その質問に答えられなかったのである。農業の在り方について彼が問題意識を持つようになった最初の契機だという。

バーベキューで振る舞われるみやじ豚。養豚農家は育てた豚がどこで売られ、どのように消費者の口に入るのか知らないことがほとんどだ

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