最終回「優しい自由主義」のススメ山崎元の時事日想(1/3 ページ)

» 2009年04月30日 08時00分 公開
[山崎元,Business Media 誠]

著者プロフィール:山崎元

経済評論家、楽天証券経済研究所客員研究員、1958年生まれ。東京大学経済学部卒業後、三菱商事入社。以後、12回の転職(野村投信、住友生命、住友信託、シュローダー投信、バーラ、メリルリンチ証券、パリバ証券、山一證券、DKA、UFJ総研)を経験。2005年から楽天証券経済研究所客員研究員。ファンドマネジャー、コンサルタントなどの経験を踏まえた資産運用分野が専門。雑誌やWebサイトで多数連載を執筆し、テレビのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『会社は2年で辞めていい』(幻冬舎)、『「投資バカ」につける薬』(講談社)、『超簡単 お金の運用術』(朝日新書)など多数。ブログ:「王様の耳はロバの耳!


 これまで本連載では、自分の主義主張を正面から書くことはなかったが、今回をもって本連載の一区切り(最終回)とすることもあり、現在の自分の政治・経済的な立場(意見)について書いてみたい。

自由主義の基本を満たしていない

超簡単 お金の運用術』(朝日新書)

 まず、自由主義と福祉社会をお互いに対立選択肢であるかのように対置する考え方には与しない。福祉社会は自由主義と両立するし、自由主義的であってこそ、よりよい福祉社会を作ることができる。

 昨今の金融危機やいわゆる格差の拡大を自由主義(「資本主義」あるいは「新自由主義」と呼ぶ人が多い)の失敗のせいだとする考え方には、事実誤認があると思う。サブプライムローン問題に代表される今回の経済的失敗は、自由主義の基本を満たしていない取引のせいで起こったものだ。

 自由主義の基本とは、ミルトン・フリードマンの言葉を借りるなら「経済的取引が双方で自発的かつ十分な知識を持ってなされるのであれば、この取引の双方の当事者がそれから共に利益を受ける」(『資本主義と自由』熊谷尚夫他訳、マグロウヒル好学社)ということだ。サブプライムローンの証券化商品は「十分な知識」の下に取引されていなかったし、投資銀行をはじめとする金融機関の多くは、経営者も含めた社員がこれを利用してボーナスを奪い取るための“インチキカジノ”のような存在だった。

 このインチキカジノの仕組みにあっては、取引相手や末端で使われる労働者ばかりでなく、資本家もカモにされていたことは、もっと注目されていいだろう。例えばリーマン・ブラザーズのような投資銀行の株主は、ある意味では、資本家の中の資本家のような存在だが、バブルの渦中にあって彼らの供出した資本は、ギャンブラーに種銭(たねぜに)を貸していたに過ぎなかったことが後から分かった。

 問題は、自由主義や資本主義にあったのではなく、エージェンシー問題にあった。つまり、エージェント(代理人)たるギャンブラー達に安易に大きな資金を委ねてしまったプリンシパル(委託者)の失敗であった。つまり、労働者も資本家も「カモられてしまった」のだ。

「十分な知識」という前提条件を実現すること

 ここで本質的に重要なのは、デリバティブや証券化商品の取引を制限することではなく、「十分な知識をもってなされる」という前提条件を実現することだ。「十分な知識」の前提を作るためのルールの適用は、自由主義にとって有害な規制ではなく、情報コストを節約する有効な工夫だ。まして金融のように、1人の失敗が他人にも影響するようなシステムにあっては、周到な仕組み作りが不可欠だし、完全な仕組みの実現は難しいから、仕組みを改善する不断の努力が必要だ。どうやっても「十分な知識を持って取引する」ことが難しいなら、取引自体を禁止してもいいが、これは最後の手段だ。

 なお、金融マン的なセンスでいうと、相手が「十分な知識」を持っていたのでは多くのデリバティブ取引の多くはうまみがなくなって消滅してしまうだろうが、だますことによる利益を規制することに問題はない。例えば、個人向けに販売されている通称「EB」(他社株転換権付社債)などは実質的には金融詐欺に近いが、こんなものをオプション価格の計算ができない個人に売ることを許しておく方が間違っている。自由主義が常に規制緩和論であるとは限らない。

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