インタビュー
» 2009年04月18日 11時15分 UPDATE

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」:ロックギタリストはなぜ、音楽サイトの編集長になったのか(後編)――BARKS編集長・烏丸哲也さん (1/6)

大学時代からギターを始め、ロックバンドのギタリストとして活躍していた烏丸哲也さんは、後に音楽雑誌の編集者に転身した。取材される側から取材する側に立場を変えた彼が、音楽業界に対して思うこと、そしてBARKSの今後について聞いていく。

[嶋田淑之,Business Media 誠]

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」とは?:

 「こんなことをやりたい!」――夢を実現するために、会社という組織の中で目標に向かって邁進する人がいる。会社の中にいるから、1人ではできないことが可能になることもあるが、しかし組織の中だからこそ難しい面もある。

 本連載では、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏が、仕事を通して夢を実現するビジネスパーソンをインタビュー。どのようなコンセプトで、どうやって夢を形にしたのか。また個人の働きが、組織のなかでどう生かされたのかについて、徹底的なインタビューを通して浮き彫りにしていく。


 洋楽・邦楽、メジャー・インディーズを問わず、幅広い音楽情報を掲載するBARKS(http://www.barks.jp/)。その編集長として活躍しているのが烏丸哲也さんだ。

 インタビュー前編では、その仕事ぶりの一端を紹介したが、この後編では、そんな烏丸さんのこれまでの人生と、これからBARKSがどういう方向へと進もうとしているのか、その展望について明らかにしたい。

エコの観点から(?)習い事はしませんでした

ay_karasumaru09.jpg 音楽情報サイトBARKSの編集長、烏丸哲也さん

 1961年、鹿児島県鹿屋市生まれ。うお座のA型。両親と姉1人。

 鹿屋と言えば、かつては帝国海軍の一大拠点であり、戦争末期(沖縄戦当時)には海軍航空隊の特攻隊出撃基地として有名であった。時代は移ったが、烏丸さんの父親も、海上自衛隊の自衛官として、鹿屋基地に勤務していた。

 しかし、自衛官には転勤がつきもの。烏丸家も、2〜3年単位で全国を転々とすることになる。「1歳の時にはもう、神奈川県の川崎に引っ越したんです。5歳になると今度は青森県の大湊に引越し、7歳の時に千葉県の鎌ヶ谷に移りました。さらに10歳で北海道の松前に転居。12歳の時に生まれ故郷の鹿屋に戻りました。15歳になると、同じ鹿児島県の加治木に移ったんです」と苦笑する。

 後年、ミュージシャンとしてブレークする烏丸さんだけに、きっと子供の頃から音楽関係を中心に、いろいろと習い事をしていたのではないかと思いきや、「いや〜、全然ですよ。エコということで何もしませんでした」と笑う。

 エコと言っても、“エコロジー”ではなくて、どうやら“エコノミー”のようだ。「中学は野球部、高校はバスケット部に所属していました。音楽は、中学時代から好きになりました。ロックでは、エアロスミスとかクイーンなんかが日本に入ってきていて、邦楽では、フォーク全盛期の終り頃で、チューリップ(財津和夫ら)などが活躍していましたね。当時私は、お小遣いを貯めて、数カ月に1枚のペースで、レコード(LP)を買っていました。あとはひたすら、ラジオの音楽番組をエアチェック。安売りの時にまとめてカセットテープを購入して、それに録っていたんですよ。FEN(Far East Network、米軍とその家族向けの「極東放送」)もよく聴きました。楽器は、遊びでギターをいじるくらいで、本格的なことは一切やっていないんです」

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