マスコミは“斜陽産業”? 週刊誌が生き残る条件とは出版&新聞ビジネスの明日を考える(2/3 ページ)

» 2009年03月27日 07時00分 公開
[吉富有治,Business Media 誠]

 以前と異なり、今や週刊誌の記事は床屋談義や井戸端会議のネタだけに留まっていない。狭い空間でのみ話題になっていた時代と違い、週刊誌の記事はインターネットに集う膨大なユーザー間で執拗(しつよう)に吟味される運命にある。書かれた内容が「ウソかマコトか」、中味が「薄いか濃いか」が検証され、その結論がネットを通じて再拡大していく。この流れの中では、週刊誌も書きっぱなしというワケにはいかないだろう。大勢のネットユーザーに“ダメ雑誌”の烙印を押されてしまえば、それは実売部数にも必ず跳ね返ってくるはずだ。

 余談だが、某出版社の経営陣は「ウチは裸や芸能人のスキャンダルを追いかける雑誌はいらない」と、自社の週刊誌を毛嫌いしていると聞いた。話が事実なら、この出版社の週刊誌は早晩、大きな変革を余儀なくされるかもしれない。

 では、これからも生き残る週刊誌の条件とは何だろうか。素朴なようだが、まっとうな雑誌ジャーナリズムを貫き通す以外、方法はないと考えている。ならば、「まっとうな雑誌ジャーナリズム」とは何か。これまで述べてきた通り、それこそ新聞やテレビが避けて通る“危ないネタ”をすくい上げることではないのか。これは見方を変えれば、まさに“スキャンダル雑誌”なのだが、タレントがくっついただの別れただのといった次元のスキャンダルではない。政治家や官僚、財界といった権力者たちが闇に葬り去ろうとする事実、つまり国民にとって不利益になる事実を暴くこと、これが本来のスキャンダル雑誌のあり方だと私は思っている。

 これは右も左も、保守も革新も関係ないのだ。右派を自認する雑誌なら、例えば前航空幕僚長だった田母神俊雄さんが更迭に遭った真相を暴いてほしい。保守派の論客は、民主党の掲げる政策がどこがダメなのかを論理的に提示すべきだ。左派の雑誌なら、「かんぽの宿」問題に隠された真相を抉(えぐ)り出すべきだろう。実際、これらの問題に斬り込む雑誌は存在するし、極端に右や左へとブレない限り、これからも健在だと考えている。確かな取材に基づくものなら、右も左も関係なく、読者の信頼は得られるはずだ。落ちこぼれていくのは、中途半端な編集方針しか描けない雑誌だけである。

 もう1点。週刊誌が牙を向ける権力者にはマスコミも含まれる。週刊朝日が『発掘!!あるある大辞典』(関西テレビ)のデータ捏造問題に斬り込むことで、同番組の「やらせ」の背景にはテレビ局と下請け制作会社のイビツな主従関係が潜んでいることが明らかになった。逆に、新聞やテレビが週刊誌の捏造記事をヤリ玉に挙げることもある。新聞・テレビ・週刊誌の三者が互いに牽制し合うことで、かえってメディアの健全性は維持できるのだ。

 この先、紙媒体の雑誌は残るとしても、彼らもインターネットを完全に無視できないでいる。本誌での収益減を、オンライン版の収入でカバーしようと努力している週刊誌も少なくない。これらの雑誌の場合、本誌とオンライン版を差別化するために、互いの内容が重複しないよう配慮されている。オンライン版では過去の本誌記事を検索できたり、記事のウラ話が披露されたりする。本誌とオンライン版、この両者が補完関係にあることで相互の価値を高めようという戦術を取っている。

この世は真っ暗なヤミなのよ

 近い将来、米国の日刊紙のように、紙の発行をあきらめて、ネットへ全面的に移行する雑誌も現れてくることも予想される。ただし、ネットへの完全移行にせよ部分的な移行のみで終わるにせよ、いつも問題になるのは課金の方法なのだ。書店やコンビニで売っている雑誌と違い、どうやってネットで儲けるかが悩ましい問題になっている。

 一部の週刊誌は携帯電話で読めるケータイ版雑誌を運営し、まずまずの収益を上げている。しかし、これとて数十人もの編集スタッフや外部ライターを食べさせるほど利益が上がるものではない。PCで読むオンライン雑誌にしても、これまで試験的に無料で読めていた記事を有料にした途端、読者は10分の1以下にまで減ってしまうという。収益を補うためにバナー広告を貼っても、本誌と同規模の編集スタッフを抱えるだけの売り上げは、まだまだ実現していない。

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