コラム
» 2009年03月26日 07時00分 UPDATE

郷好文の“うふふ”マーケティング:“無垢の木”の住宅の魅力を伝えるために――木童 木原巌社長 (1/2)

木材と接着剤から作られている合板などの木材製品に対して、木を切ったり削ったりしただけの木材「無垢の木」。その魅力を伝え、ユーザーと建築家や工務店との間を取り持っているのが木童の木原巌氏だ。

[堀内彰宏,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

マーケティング・リサーチ、新規事業の企画・開発・実行、海外駐在を経て、1999年より2008年9月までコンサルティングファームにてマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略、業務プロセス改革など多数のプロジェクトに参画。 2008年10月1日より独立。コンサルタント、エッセイストの顔に加えて、クリエイター支援事業 の『くらしクリエイティブ "utte"(うって)』事業の立ち上げに参画。3つの顔、どれが前輪なのかさえ分からぬまま、三輪車でヨチヨチし始めた。著書に「ナレッジ・ダイナミクス」(工業調査会)、「21世紀の医療経営」(薬事日報社)、「顧客視点の成長シナリオ」(ファーストプレス)など。中小企業診断士。ブログ→「マーケティング・ブレイン」


 木材と接着剤から作られている合板などの木材製品に対して、木を切ったり削ったりしただけの「無垢の木」。古来、日本人はずっと無垢の木の家屋に住んでいたのに、戦後高嶺の花になった。売り手は「買い手がいない」「流通が複雑でコスト高」「扱いにくい」と言う。買い手は「どこで買えばいいか分からない」「高いから自分にはムリ」と言う。その結果、日本には規格型住宅ばかりが増えることとなった。

単なるモノ売りをしてはいけない

ah_kihara.jpg 木童の木原巌社長

 そんな状況を打破しようと1994年、国産の無垢の木をクルマに載せ、建築事務所や工務店への営業を始めた男がいた。それが木童(こどう)の木原巌社長だった。

 しかし、どこに行ってもまったく売れなかった。ある時、クルマのバックミラーに映る自分の顔をふと見ると、そこには悲壮な顔をした「売り込み屋」がいた。はっと気付いた、「俺はモノ売りをしていた。違うんだ。俺の夢は林業を再生し、国産材の家を日本に増やすことなんだ」

 それからはスーツを脱ぎ、その代わりにジーンズとトレーナーを身に付け、リュックを背負った。そして、セールストークは止めて、木材の作り手の想いを伝えだした。それから15年間、400棟以上の木造住宅のコーディネートを手掛けてきた。

 新宿オペラシティ1階にある木童のショールームにうかがい、「15年経って楽になりましたか?」と尋ねると、「いや今でも苦しいですよ。軌道に乗れば乗ったでその時々、苦しいものです」と木原氏は答えた。

みんな木のことを知らなくなってしまった

 木童を立ち上げる前は、木材の塗料販売の営業マンだった木原さん。全国の材木産地への営業で、北から南までどこにも地域材があることに気付いた。だが、実際に住宅に使われるのは8割以上が輸入材であるため、どの産地も廃れていた。

 材木屋と言えば昔は地域の名士で、家を造りたいという人に材木を分け、大工を紹介し、建築資金面でも融通を利かせてくれた地元の“旦那衆”だった。だが、旦那衆の時代は終わり、輸入材に押し出されるのと時を同じくして、材木屋は商売下手になった。

 「材木屋はみんな商売下手だと思いました。木を安く売ろうとしかしない。なぜなら木のことを知らないから、(適正価格で)売れないんですよ」

 「近所の工務店の店頭を見てください」と木原さんは言う。『ガス器具』『流し台』『アルミサッシ』『照明器具』……そんな看板がいくつも出ている。「彼らはいったい何屋なんでしょうか?」

 工務店も大工も建築事務所も木のことを知らない。「それならもっと木のことを広めてやろう」、そう考えて脱サラ起業した。

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