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» 2009年03月13日 17時40分 UPDATE

16連射、ゲームは1日1時間の裏側――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(後編) (1/5)

公開講座「名人の目から見たファミコンブーム」で、ブームを振り返った“高橋名人”こと高橋利幸氏(ハドソン)。前編ではファミコンブームが盛り上がっていく様子を伝えた。後編では「ゲームは1日1時間」「16連射」が誕生した背景、そして質疑応答の模様を紹介する。

[堀内彰宏,Business Media 誠]

 日本デジタルゲーム学会は3月6日、東京・文京区の東京大学福武ラーニングシアターで公開講座「名人の目から見たファミコンブーム」を開催した。講座ではハドソンの高橋名人こと高橋利幸氏が講師として登壇、ブームを仕掛ける側から見たファミコンブームについて語った。

 前編ではファミコンブームが徐々に大きなものとなる中、ハドソン宣伝部で中心的な役割を果たした高橋氏が、“高橋名人”として子どもたちのヒーローとなるまでの話をお伝えした。後編では、「ゲームは1日1時間」という言葉や「16連射」が誕生した背景、そして質疑応答の模様を紹介する。

 →“高橋名人”という社会現象――高橋利幸氏、ファミコンブームを振り返る(前編)

「ゲームは1日1時間」はこうして生まれた

ah_takahasi2.jpg 身振り手振りも交えて講演する高橋氏

高橋 ファミコンがブームとなり、私がテレビや一般の方の前に出て『ハットリくん』の攻略法などをやるわけですが、その時にやっておいて良かったなと思うことがありました。

 ファミコンはお子さんのおもちゃなので、大蔵省であるお母さんが財布の紐を緩くしてくれないと子どもは遊べません。昔、「ゲームセンターは不良の行くところ」と言われたのですが、それからまだ5〜6年しか経っていなかったのです。『インベーダーゲーム』と『ブロック崩し』がブームになったのが1979〜80年、1983年ファミコン発売で、キャラバンをスタートしたのが1985年ですからまだ4〜5年。だから、インベーダーブームの時に小学校1年生だった子どもが、5〜6年生になった時にファミコンが家庭に入ってくるわけです。お母さん方の中には当然、「大きくなったら(不良の溜まり場と言われたゲームセンターに)行くかもしれないなあ」と思っている方が絶対多かったと思います。「(ファミコンと不良を結び付けられないようにするためにも)そこを何とかしなきゃいけない」と思ったのです。

 そうした思いから発せられた言葉が「ゲームは1日1時間」です。一番最初にそんなメッセージを発したイベント会場は、1985年7月26日のダイエー香椎店でのことでした。実は、一番最初に発した言葉は「ゲームは1日1時間」ではありませんでした。ダイエー香椎店では会場に来ていた親御さんが多かったので、見た瞬間に「何か言わないといけない」と思ってしまったんです。それまでのダイエー鹿児島店や熊本のピーコックでは、参加者の9割が子どもだけだったのです。この店で初めて親御さんの数の方が多かったので、「このままテレビゲームばかりでいいのかなあ」と思ってしまって、この時に言ったのが「テレビゲームが上手くなりたいなら、1時間だけ集中してやるのがいいんだよ。後は外行って遊べ」というようなことを言いました。

 ダイエー香椎店は福岡県にあるのですが、実はその時(福岡県の)問屋さんやバイヤーさんが来られてたんですね。「ゲームを作って売っている会社の社員が、何かゲームするなってことを言ってる」という話がその日のうちにハドソンの方に入りまして、翌27日に役員会が開かれました。「ゲーム作っててこれから売ろうって頑張っている時に、お前『遊ぶな』はないだろ」のようなチクリが入ったのでしょうね。

 役員会が開かれた日の夜にホテルに着くと、社長から電話がありまして、「高橋、何か変なこと言ってたんだって? 色々みんなで考えたんだけど、会社として(『ゲームばかりで遊ぶな』ということを)言ってくことにしたから」となったんです。そして「お前、標語作れ。みんなで標語にしようぜ」というので作ったのが「ゲームは1日1時間」です。「ゲームは1日1時間。外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人」という標語を子どもに向けて伝えようということになりました。

 下写真は、イベントの時に子どもに配っていた名刺です。当時、子どもたちの間で名刺をやり取りするのが流行っていたようで、イベントに行くと「名刺ちょうだい」と言われるので、この時イベントに行く社員はみんな名刺を持っていました。ただハドソンの社長が、「子どもたちに社長と言われたくない。子どもに役職は関係ないから、役職は入れるな」と言ったので役職は入っていません。また、文字をちょっとでも大きくしたいということで、5大標語のうち1つ(「僕らの仕事はもちろん勉強」の部分)は省いてます。会社としてということですので、当時のハドソンのマニュアルでも、「ゲームは1日1時間ぐらいでやめて、外に遊びに行こう」ということを書いていました。

ah_kubamei.jpg 当時高橋氏が配っていた名刺

 私のイベントも、1986年ころからはスタイルが変わってきました。1985年のころは忙しくて説明する以外何も言えなかったのですが、このころから私が自由にできる時間を15分くらいもらいました。そこで、ドッジボールのルールをまとめた東正樹先生から教えてもらった「健康体操」という手の動きを、「ファミコン体操(関連リンク、動画)」としてイベントに来た子どもたちに10分ぐらいやらせていました。「どう子どもに(ファミコン体操を)させようか」ということですが、あの当時の子どもはファミコンに絡めると目の輝きが変わるんですね。「ファミコン上手くなるぞ」と言うと、みんなやってくれるんです。指の運動でファミコンが上手くなるわけないのですが、やるんですよ。これをやるだけで「おお、すげえ。名人、だから器用なんだ。あれやれば16連射できるのかな」となるわけです。

 あとは命令ゲームです。命令ゲームは言葉の遊びなのですが、「“命令”という言葉をつけたときには行動しなさい。“命令”という言葉が頭に付いていなかったらやっちゃダメ。例えば『命令、手を挙げて』と言ったら手を挙げるだけで、『降ろして』と言ったら降ろしてはいけない」。これを「反射神経がすごくなるよ」と言ってやるわけです。これをやると子どもたちは笑うんですね。一緒に来ていたお母さんたちも笑ってくれるし、「『(ファミコンって)健全だな』と思ってくれることがすごく良かったのではないか」と私は思っています。

ah_famitai.jpg ファミコン体操を実演する高橋氏
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