今、明らかにしよう! 星野監督“勇退スクープ”の裏側出版&新聞ビジネスの明日を考える(2/3 ページ)

» 2009年03月11日 07時00分 公開
[吉富有治,Business Media 誠]
星野仙一著の「夢 命を懸けたV達成への647日」(角川書店)

そもそもの発端は、阪神タイガースの優勝直後、『F』の編集者がある人物から「星野さんが健康を理由に監督を辞任する」「某月某日、監督と球団オーナーが極秘会談を持って、そこで引退をオーナーに打ち明ける」と、小耳にはさんだことから始まる。編集者からその話を聞いた私は、「まさか」と思ったが、その半面「ひょっとして」という疑念が浮かんだのも事実だった。野村克也元監督の引退騒動を見るまでもなく、多くの阪神監督のお歴々はタイガース名物“お家騒動”の渦中で球団を去っている。

 星野さん自身も古巣の中日ドラゴンズを追われるように去っていった。星野さんの美学からすれば、石もて追われるより(石を投げられるほどの反感を買うこと)、周囲に惜しまれながら球団を去っていく方を好むはず。ならば優勝後の勇退など、星野さんにすればこれ以上の花道はない。「勇退」もありえる話ではないのか。

 さっそく取材に動いた。だが、「某日」に球団オーナーと極秘会談を持つという以外、ほかになにも情報がない。だったら尾行しかないのだ。このとき私が1人、当時の阪神タイガースオーナー兼電鉄会長でもあった久万俊二郎(くま・しゅんじろう)さんを神戸市内の自宅からこっそり追跡することにした。

 早朝、久万さんを乗せた社用車は電鉄本社へ出発。昼過ぎ、オーナーは再び社用車に乗り外出。向かった先は大阪梅田のRホテルだった。オーナー車が地下駐車場に滑りこむ姿を確認後、慌ててホテルの玄関入り口に向かってみれば、なんと星野さんの社用車がすでに停車しているではないか。「なにかある」と直感した私は編集部に連絡を入れ、さらなる助っ人の手配を頼んだ。

 そして私は、宿泊客を装ってロビーで待機。そこで待つこと2時間、見慣れた顔がロビーに現われた。星野さんである。彼は監督付きの広報担当者を伴って玄関へと移動していく。そこから100メートル離れたカメラマンに私はすかさず連絡を入れ、クルマに乗り込む瞬間をファインダーに捉えたのである。オーナーと監督はこのホテルで間違いなく会っていたのだ。

 ほかにマスコミ関係者らしき人物はいない。となれば極秘会談である可能性は高い。「勇退」の二文字が真実味を帯びた瞬間だった。その後、私や取材チームは球団関係者らを取材し、その感触から星野勇退を確信。『F』の記事が出て、世間は大騒ぎしたのである。

自分たちの取材不足をごまかした

 当時、某スポーツ紙が星野勇退に触れた連載記事を掲載しており、それによれば「監督とオーナーを尾行した写真週刊誌の車は10台」などと書かれていた。なんとも景気のいい話だが、そんな大勢で追跡すればかえって目立つだろう。久万さんを自宅から追跡したのは私1人だ。電鉄本社からホテルまでは2台。星野さんは最初から追いかけていない。まさか1人〜2人の週刊誌記者に極秘会談をスッパ抜かれたとなると、1社で何人も監督や選手に張り付いているトラ番記者の面目は丸潰れ。『F』取材チームを必要以上に膨らませることで、自分たちの取材不足をごまかしたとしか思えない。

 『F』の報道に慌てた一部のトラ番記者は、「いずれ勇退することは知っていたが、日本シリーズに水を差すような報道はできない」「武士の情けで書かなかった」などという言い訳に終始したという。後日、私がこの話を聞いたとき、評論家の立花隆さんが故田中角栄元首相の金脈問題を月刊誌で暴いた出来事を思いだした。角栄氏は立花さんの記事がきっかけで失脚するのだが、政治部の角栄番の記者たちの言い分はトラ番記者たちとまったく同じ。「そんな話は昔から知っていた」とうそぶいていたのである。

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