今、明らかにしよう! 星野監督“勇退スクープ”の裏側出版&新聞ビジネスの明日を考える(1/3 ページ)

» 2009年03月11日 07時00分 公開
[吉富有治,Business Media 誠]

 前回のコラムで、週刊誌の分業システムを書いた。ただ断っておくが、これは記者の意見がまったく反映されないという意味ではない。私の体験は極端な例で、決してあってはならないことである。むろん署名記事なら文章は記者がすべて書く。だが、無署名でも記者と編集者がやり取りしながら、現場で記者が見て感じたままの記事に仕上げていくのが普通なのである。要は、記者と編集者の意思疎通なのだ。この“パイプ”が詰まっていると、事実を誇張した記事になりがちとなる。幸い、いまの私は信頼できる『F』の編集者たちと仕事をしているので、かつてのような体験は皆無である。

 さて話題を変えよう。

 「スクープなど意味がない」という意見がある。たった数時間、あるいは1日早くほかのメディアに先駆けて報道することが、どれほどの意味を持つのかというものだ。スクープを追いすぎるあまり、記者同士の過熱競争から取材対象者や周辺に迷惑を及ぼすという苦言も絶えない。

 確かに、それらの意見は一理ある。特に後者は、これまで数多くの報道被害者を生み出してきたからだ。例えば、香川県坂出市で2007年11月に起こった祖母姉妹行方不明事件では、世間やマスコミは姉妹の父親を犯人扱いし、カメラやマイクが父親の一挙手一投足を執拗(しつよう)に追った。マスコミ各社は少しでも良い映像や写真を、また他メディアとは違った肉声を伝えようと、取材は異様に過熱。結果として、被害者であるはずの父親や親族に、精神的圧迫や社会的地位の低下を与えることになってしまった。これなどはまるで無意味な、いや“犯罪的”なスクープ合戦といえる。

 だが私は、スクープは必要だと思うのだ。中でも雑誌の場合、新聞やテレビがあえて意図的に報じない事実を、ときにスッパ抜くことがある。かれらは番記者同士や記者クラブの呪縛(じゅばく)に引っかかって、国民が知るべき事実をワザと報じないことがあるのだ。これを暴くことが、雑誌、週刊誌の仕事だと思っている。

 私も写真週刊誌『F』で、その手のスクープを何度か経験したことがある。今回は印象が深かった記事――そのウラ話を披露し、さらに少々の自慢も交え、雑誌、週刊誌が果たす役割について考えてみたい。

「勇退」の二文字が真実味を帯びた瞬間

 さて、そのスクープとは、2003年10月に阪神タイガース監督を勇退した星野仙一さん(現・同球団シニアディレクター)に関する話題である。実は星野さんの監督勇退をスクープしたのは、『F』なのだ。阪神タイガース優勝の立役者である星野さんは、2003年の日本シリーズ終了後に「健康上の都合」を理由に監督の引退を正式表明した。だが、『F』は日本シリーズより以前に勇退をスッパ抜いた。

 『F』の記事を読んで慌てたテレビや全国紙、またスポーツ紙などが後追いする騒動に発展したのである。このとき『F』の専属記者だった私は、数人で構成された取材チームの一員として、世紀の大スクープを目の当たりにすることになった。

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