「数打たないと当たらない、でも外れには投資したくない」――拡大するコンテンツ産業症候群新連載・川上慎市郎の“目利き”マーケティング

» 2009年02月20日 16時28分 公開
[GLOBIS.JP]

「川上慎市郎の“目利き”マーケティング」とは?

グロービス・マネジメント・スクールでマーケティングを教える川上慎市郎が、企画の成功率を高める「目利き」の方策を探るシリーズ。

※本記事は、GLOBIS.JPにおいて、2008年2月20日に掲載されたものです。川上氏の最新の記事はGLOBIS.JPで読むことができます。


 最近事業会社の方からよく受ける相談に、「商品(企画)開発のリスク管理」というテーマがあります。今日もたまたまそういう相談をある方から受けました。その話を要約すると、以下のような感じです。

 技術の高度化や顧客ニーズの高品質化、マーケットのグローバル化に伴って、1つの製品を世の中に出すまでのコストはますます高まる一方、市場は成熟の度合いを強めており、ちょっとやそっとでは売れる製品が作れない。しかし、製品寿命は短命化しており、流通に扱ってもらうためには製品を次々と出し続けるしかない。ところが、キャッシュフロー重視の経営トップからは「利益の見込みのない新製品は出すな」といわれ、板挟みになった企画の現場は身動きが取れなくなってしまっている……うんぬん。

 似たような悩みに直面している方は結構多いのではないかと思うのですが、私はこうした「新製品の成功確率が低下し、開発の意思決定が下せない」というジレンマのことを、個人的に「コンテンツ産業症候群」と呼んでいます。

「外れ」のリスクをどう抱え込むか

 映画、出版、アニメなどのコンテンツ産業というのは、100本以上の企画を打ってようやく2〜3本当たるという世界であり、しかしその2〜3本のヒットが90本以上の失敗企画の損失を補って余りある莫大な収益をもたらすという構造を持っています。したがってコンテンツ産業ではヒットの見込みの高い“安全な”コンテンツばかりに投資しようとすると、かえってメガヒットに化ける可能性のある作品やクリエイターを抱えこめなくなってしまい、凋落(ちょうらく)するとされてきました。

 最近では、コンテンツ産業以外の多くの業界が、コンテンツ産業と同じようなジレンマを抱えるようになっているのではないかという気がしています。市場が成熟化し、ヒット商品が出にくい、あるいはヒットしてもあっという間に売れ行きが落ちてしまう中で、自社のブランドを確立できていないメーカーは、中国製品などとの泥沼のコスト競争に陥っています。

 コンテンツを流通させる機能も持っているのであれば、流通過程で競合との差異化を図り、企画・制作段階においては自社でコンテンツに投資するリスクを負わず、クリエイターの機能を外部化してコストを下げるという、テレビ業界や出版業界のような手法を取ることもできます。しかし純然たるメーカーは、流通機能は小売店などに委ね、また製造段階では厳しいコスト競争を迫られているため、企画の成否が競合との差異化の鍵を握っています。この唯一無二とも言える差異化の源泉を外部化することは現実的ではなく、同じような戦略は取れません。

 相談された方は「マスに売れない、もうからないかもしれないけれど、出すべきだと思う商品企画をどうやって経営トップに説明して決裁をもらえば良いのか分からない」と、悩みは深いようでした。

 確かに、1つ1つの作品(企画)を見れば失敗のリスクが圧倒的に高いわけで、経営者から見ればファイナンス的な価値は限りなくゼロに近づきます。しかし、だからといってゴーサインを出さなければ、既存製品から上がるキャッシュフローはますます先細って行き、座して死を待つことになりかねません。とはいえ、キャッシュを生まない可能性の極めて高い新製品に投資することは、投資家(株主)から見れば許されることではありません。こうした「コンテンツ産業症候群」の中では、企業はどのような判断基準で意思決定をすれば良いのでしょうか。

企画の成功率を上げるための方法はあるか?

 こうした将来の収益性が不確実な案件への投資の可否を考えるためのツールとして、「リアル・オプション」という考え方があります。これは、金融工学におけるオプション取引の考え方を、金融商品以外の事業にも応用したものです。不確実性のある将来において、柔軟性を持つプロジェクトや資産は、そうではないものに比べて高く評価できるというコンセプトで、この場合、「柔軟性を持つ」とは、ある状況が明らかになった段階で、継続や中止などの判断が可能な場合をいいます。例えば、新製品をいきなり市場導入する場合と、テストマーケティングの結果次第で本格的に展開するかどうか決めることができる場合とでは、後者の方がプロジェクトの価値が上がります。

 ただ、コンテンツ産業を初めとするこの手のハイリスクな商品開発の現場でリアル・オプションが使われているという話を、寡聞にして私はこれまで聞いたことがありません。それは恐らく、クリエイターの才能や知名度、作品のアイデアなど様々な要素が複雑に絡む中で、1つ1つの商品企画に関する不確実性のオプション価格を推計するだけでもかなりの手間がかかるのに、それを無数の案件1つ1つについていちいち算出して意思決定することの非効率性があまりに大きいからでしょう。それよりは、直感的に「売れる」かどうかを判断できるセンスのある人材を目利き役に据えれば良いだけのこと、というのが従来のコンテンツ産業の現場の本音ではないかと思います。そして、私もその発想には基本的に同意します。

 とはいえ、「コンテンツ産業症候群」に巻き込まれつつある多くの業界の企業にとっては、目利きのつとまるほどのセンスのある人材がそうそういるでもなく、かといって「とりあえず数打ちゃ当たる」の論理に走ることもできない。成功確率を上げる方法が知りたい、というのが正直なところでしょう。

 「そんな方法があれば苦労しないよ」というため息も聞こえてきそうですが、方法がまったくないというわけではないようにも思います。次回は、少しその方法について考えてみようと思っています。

著者プロフィール:川上慎市郎

早稲田大学政治経済学部卒業後、日経BPに入社。「日経ビジネス」誌記者として流通・自動車・家電・IT業界等の企業取材を担当。また複数のネットメディアのマーケティング企画立案と立ち上げ、システム開発等に従事した後、グロービスに入社。経営戦略・マーケティング領域のプログラム開発、講師を担当する傍ら、同社のネットメディア戦略の企画立案にも携わる。共著書に『WEB2.0キーワードブック』(翔泳社)、『売れない時代に売る 達人編』(日経BP)。


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