廃線の危機を脱するアイデアとは?――ある第三セクターの再生物語近距離交通特集(4/5 ページ)

» 2009年02月13日 07時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]

鉄道マンたちにも誇りが戻った

 赤字路線として国鉄から切り離された北条線、そしてそれを引き継いだ北条鉄道。23年も赤字を垂れ流し、転換時に支給された経営安定化基金を食いつぶしてきた。国鉄から引き継いだ時に、沿線の住宅開発、病院の誘致、幼稚園や公民館の設置など、乗客増につながる施策を加西市が講じれば黒字化の可能性もあったかもしれないが、何もしないまま田んぼの中の電車で終わらせてしまった。そして、その基金が切れる時に、中川氏が加西市長に就任することになった。だが、「復活のチャンスはある」と中川氏は言う。

 「自分で北条鉄道に乗ってみて『これはすばらしい』と思いました。利用者の『残してほしい』という声を聞いて、是が非でも経営体質を改善して、安定軌道に乗せるのが私の役割だと思いました。ところが実際の経営状況を見ると、無駄が多いし、当時の職員の士気は最低でした」

 列車を走らせなくてはいけないが、お客が増えない。そんな閉塞感が北条鉄道にはあった。新米社長の仕事は、そんな古風で後ろ向きな企業を、都会のベンチャー企業のように、少数精鋭で職員全員が前向きに頑張るようにすることだった。

 「職員はよく働いてるのです。でも、会社が赤字だから、給料は市役所に比べて安すぎる水準。そこでまず、あえて給料を増やしました。ちょうど国鉄時代の高給の職員が退社したため人件費が下がったのですが、それを赤字解消に振り向けず、若手職員の昇給と新入職員の給料にあてました」

 職員の意識を変えるため、社長自身がゴミ拾いを始めた。ちりとりとほうきを持ち、ホームを歩き、お客さんには大きな声であいさつをする。時間を作って途中の駅からふらりと乗ってみる。そんな行いが職員の緊張感につながった。中川市長が公務の途上、踏切で列車通過に出くわすと、公用車から下りて手を振る。運転士も手を振り返す。「あれ、さっきのは社長じゃないか」、という積み重ねが社風を変えた。こう書くと美談に聞こえるが、社長が現場を巡回するのは、一般企業では当たり前のことである。

 「その通りです。それを23年間やっていなかった。(関わるのは)年に1回の役員会と、決算の取締役会だけ。そんな無責任な経営がずっと続いていたわけです」

 社長の存在感や市民からの評価が高まるにつれて、北条鉄道の職員たちの意識も少しずつ変わっていった。市民と職員が交わす笑顔が増えていった。それは営業成績に表れているという。

職員が考案した長寿記念切符。「長(おさ)駅ゆき」を「長(なが)いき」と読ませる

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