廃線の危機を脱するアイデアとは?――ある第三セクターの再生物語近距離交通特集(1/5 ページ)

» 2009年02月13日 07時00分 公開
[杉山淳一,Business Media 誠]
北条鉄道は神戸市近郊のローカル鉄道

 赤字の第三セクターを抱えた自治体の首長選挙では、その存続が選挙の争点になることが多い。北条鉄道が走る兵庫県加西市の隣の三木市では、「三木鉄道廃止」を公約に掲げた候補者が当選し、現市長となっている。

 もちろん首長選挙は赤字鉄道存続の是非だけが争点ではない。しかし、第三セクター鉄道の存続はその出資者である自治体の首長の意向が反映される。三木市の三木鉄道は廃止され、加西市の北条鉄道は残った。

 「北条鉄道をただ維持するだけではなく、再生し、成長させる」、そう判断した理由は何なのだろうか。加西市長であり、北条鉄道の社長でもある中川暢三(なかがわ・ちょうぞう)氏に聞いた。

廃線の危機から脱出できるか? 第三セクター・北条鉄道の挑戦

前身となった旧播州鉄道の路線図

鉄道は残すと決めた

北条鉄道会議室にて。手前の鉄道模型は集客イベントで使用したもの

 「僕は加西市長に当選するまで、加西市長が北条鉄道の社長をやるなんて知らなかったんですよ。『市長の仕事だけを完璧にやる』、そのつもりで立候補したわけで。当選したら(北条鉄道の社長職が)あった(笑)」

 この言葉には補足が必要だ。中川氏は現在2期目だが、2005年に初当選した時の選挙の争点は加西市の財政問題だった。北条鉄道の負担も、その財政問題の1つだった。だから中川氏も北条鉄道の存在を認識していたはずだ。

 しかし、「加西市長が北条鉄道社長職に就く」という行政内部の決め事は知らず、市長就任後も納得しなかった。「自分は鉄道に関しては無知だから、鉄道経営に詳しい民間人社長を起用したい」と中川氏は社長就任を固辞。報道によると、北条鉄道は実質社長不在の状態が約4カ月間も続き、それが共同経営者だった小野市の態度を硬化させたという。そして小野市長は取締役を退任し、経営から手を引いてしまった。

 当時、北条鉄道の経営安定化基金は2005年度で底をつく見通しだった。誰もが北条鉄道の廃止を予想していた。しかし、事態収拾のため北条鉄道の社長に就任した中川氏は「存続を決め、活性化させる」と表明した。

 「小野市長が取締役を退任した際に『(中川氏が)社長に就かず不誠実だ』とコメントし、それが報じられたことは心外でした。小野市は私が市長になる前から北条鉄道の経営から撤退したい意向だったし、両市の間ではその意向を承知していたんです。

 でも、それを切り出すタイミングがなかった。だから私が社長にならないことを後付けの理由にした、あるいは市議会がそのように騒いで、マスコミがそう報じたんですよ」

 北条鉄道の全路線のうち、起点の粟生(あお)駅付近のみ小野市であり、それ以外のすべての駅は加西市にある。つまり、北条鉄道は加西市のための鉄道という意味合いが強い。北条鉄道の経営について小野市の関心が低いことは当然だといえる。国鉄北条線を第三セクターとして残す時、小野市が参加したこと自体が間違いだったかもしれない。

 「当時、小野市は『(北条鉄道の)株を買い取ってほしい』と要望してきました。私も小野市がそういうお考えなら加西市で引き受けたいとも思いました。『わずかばかりの資本金を持つために文句を言われるくらいなら、加西市が単独でやります』と言っているんです。

 しかし、兵庫県はダメだという。『第三セクターだから、県と関連自治体が株を持ち合わなくてはいけない』と。私は違うと思う。加西市が主導権を持って、北条鉄道を健全に経営できて、利用者である加西市民に愛されることが大事なのです」

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