どうやって“南極料理人”になったのか――南極越冬隊調理担当・篠原洋一さん(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(5/6 ページ)

» 2009年01月26日 00時15分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

 そして、2008年12月25日、彼は、記念すべき第50次南極越冬隊員として、空路、オーストラリアに飛んだ。

 今回は、例外的に、日本から南極観測船は出ない。これまでの「しらせ」が引退し、新造船は、2009年に就航予定なので、今回に限り、オーストラリアから、同国の砕氷船「オーロラオーストラリス号」に乗船したのだ。

篠原さんの「新たな挑戦課題」とは?

第50次隊の名刺

 篠原さんが参加した第33次隊から、実に15年。篠原さんも変わり、南極越冬隊をめぐる環境も変わった。「健康に対する世の中の価値観も変わりまして、メタボにならないための健康管理など、新しい課題も出てきているんです」

 言うまでもなく、料理というものは、人が生存を維持するための栄養補給という側面と、もう1つ、人々の日々の生活を心豊かにし、潤いや幸せをもたらすという側面がある。栄養という面に偏り過ぎれば、かつて時折見られたような(悪い意味での)病院食や社員食堂的な、味気ない、人によっては食事がストレスとなるような事態になりかねない。また逆に、食の豊かさを追求し過ぎると、メタボリック・シンドロームを初め、現代人が最も警戒する「文明病」と呼ばれる不健康な状態を招来しかねない。

 現代の社会的要請に応えつつ、いかにして、隊員たちの「唯一の楽しみ」である食事を、幸福感溢れるものにしてゆくか。今回、篠原さんは、前回にはなかった新しい挑戦課題をひっさげ旅立った。

 しかし、篠原さん自身も、大きく変わった。第33次隊に参加後、クルーズ船のシェフとして、世界を12周し、その間、実に65カ国、170都市で未知の食文化と出会い、自分のものとしてきたのだ。以前にも増して格段に視野が広がり、知識・技能を向上させた彼であれば、新しい挑戦課題を楽々と乗り越え、隊員たちを幸福にするのではないだろうか。

篠原さんに見る「夢の実現への道」:

 まさに「夢を手繰り寄せた」と言ってよい篠原さんの人生の歩みを拝見していて筆者が思うこと――それは、集約するならば、次の3つである。

(1)一歩を踏み出す勇気

 「人生すべて『百聞は一見に如かず』なんですよ」という彼の言葉そのままに、高校時代以来、一貫して、迷うくらいなら「常に一歩を踏み出す」生き方をしてきた。それが「夢」への距離を縮めてきたことは疑う余地がない。

(2)何があっても腐らない

 しかし、彼の歩みを見ていると、必ずしも、常に夢の実現に一直線に突き進んでいる訳ではない。南極観測隊に選抜される保証もない中、時には、夢から逆行しているのでは……・と思うような時期もあったであろう。しかし、彼は絶対に腐らなかった。その一途な信念が運を引き寄せた部分もあったのではないか。

(3)他人がしないような努力、他人の何倍もの努力

 若くして単身、上京して、慣れない東京の有名割烹で板前修業。それだけでも逃げ出したいくらい大変なのに、驚くべきことに篠原さんは、もともと少ない睡眠時間をさらに削り、ロッテリアや、人気居酒屋チェーン、いわし料理店などでアルバイトを重ねた。それは、近い将来南極観測隊に志願するために何が必要で、今の自分には何が欠けているかを明確に自覚した上で、それを補填するための理にかなった努力だったのである。

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