インタビュー
» 2009年01月26日 00時15分 UPDATE

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」:どうやって“南極料理人”になったのか――南極越冬隊調理担当・篠原洋一さん(後編) (4/6)

[嶋田淑之,Business Media 誠]

任務終了――世界一周クルーズ船の料理人に転身

 1993年2月、南極越冬隊員としての任務を無事終了した篠原さんたち第33次越冬隊員は、南極観測船「しらせ」に乗船。思い出の詰まった南極大陸を後にした。

 帰国すると、取り敢えずは、臨時公務員としての立場も離れることになる。この先、篠原さんとしては、どうするか? すぐまた南極越冬隊に志願しようとは思わなかったのだろうか?

 「いやいや……たいへんな達成感がありましたからね!」

 帰国の途についた一行は、途中、オーストラリアで下船し、シドニーから空路、日本に向かうのだが、篠原さんの行動は一味違った。

 「オーストラリアの日本食レストランを食べ歩きしたんです……そういうレストランで働いてみたかったんで(笑)」

 しかしそれは不調に終わり、帰国後、世界一周クルーズ船の料理人になるべく、船会社の面接を受ける。子供の頃からのテーマである「食」と「旅」を追求するためだ。

 「でも、人員の枠があって、すぐには入れないと言われました。それで、当面の仕事として、埼玉県川口市で魚屋のトラックの運転手として働きました」

 “待てば海路の日和あり”。1994年10月、篠原さんは正式採用になった。

世界を12周し、65カ国、170都市を巡った13年半

 「最初は、肉や魚の下ごしらえをするブッチャー・シェフを務めまして、それから、和食のシェフを担当させていただきました。庶民的なお惣菜から超高級懐石まで、何でも作りましたよ」

 世界1周クルーズだけでなく、さまざまなクルーズを体験したという。「世界1周クルーズに加えて、アジア太平洋クルーズ、さらには、ハワイ、日本国内と、いろいろなタイプのクルーズに同乗しました。勤務のシフトとしては、4カ月乗船+2カ月休暇というサイクルを、年に2回こなすようになっています」

 プロの料理人として、この仕事では、どんな収穫があったのだろうか?「世界を12周させていただき、その間、65カ国、170都市に寄港し(各都市1回当たり3日以内)、これまで会ったことのなかった様々な人々と出会い、多くの未知の食文化に触れることができたことが一番の収穫ですね」

 特に印象に残っていることは?「たくさんあり過ぎて、すぐには出てきませんが(苦笑)、例えば香港では、椎茸を煮ただけの前菜のあまりの美味さに感動しましたし、スペインでは、パプリカ料理の世界に開眼させられましたね。料理の味だけではありません。文化の違いにより、盛り付けのセンスも実に多様で奥深いということを知りました。

 外国のクルーズ船の場合、食材数は600〜700なのですが、日本人客を対象とする日本のクルーズ船では、1400種類くらいの食材が必要になるんですね。それだけ日本人は食の好みは多様だということです。

 あと……仕事とは直接関係ありませんが、太陽が水平線に沈む瞬間に緑色に見える『グリーンフラッシュ』を何度も見ました。あれは、船乗りでもそうしょっちゅう見られるものではないそうなんですが、本当に美しく感動的でした」

南極への思い絶ち難く〜第50次隊として、再度、南極へ

 人にはそれぞれ、自分として居心地が良いと感じる職場や空間に関する適正規模があるようだ。2006年を迎えた頃、篠原さんの乗るクルーズ船は新しい巨大な船に替わり、彼は何となく違和感を覚えるようになる。

 「私にとっては、自分が歯車になったような感じがありまして……それに、ちょうどその頃、同じ船に乗っていたドクターが南極経験者で、『また行かないか?』と誘われて。どうしたものかと悩んでいたんです」

 彼の脳裏を過ぎったもの――それは、南極の−30度という酷寒の中、おでんを頬張り、氷山の氷を入れたオンザロックを呑みながら、仲間たちと仰ぎ見たオーロラの神秘的で荘厳な姿だったろうか。あるいは、アデリーペンギンやウェッデルアザラシの心和む姿だったろうか。そして何より、彼が丹精傾けて調理した料理に舌鼓を打つ隊員たちの幸せそうな表情であったろうか。

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 2007年、彼は決意した。「また志願しよう!」

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