フラット化する消費者ニーズ郷好文の“うふふ”マーケティング(2/2 ページ)

» 2009年01月22日 07時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]
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コンビニは必要なのか?

 例えば、コンビニは本当に必要なのだろうか? 本当にコンビニエント(便利)なのだろうか?

 品ぞろえは確かに幅広い。24時間開いているのは心強い。でも単価は高いし、同じものが別の店でもっと低価格で買える。新商品が次々と投入されるのは楽しめるが、翌月にはもうなかったりして悲しい。夜中の2時に開いていると、犯罪の温床になり監視カメラなど余計な装備が必要にもなる。

 買う時にガマンすることもある。レジの待ち行列をコントロールしない店員、釣り銭をポイっと渡す店員もいる。立ち読み防止のために、雑誌にひもをかけたり。でも、それはきっと誰かのコストになるし、本当に買いたい読者を遠ざけるのではないだろうか。

 コンビニが優れたビジネスモデルであることは間違いない。でも、今のコンビニは決して“コンフォタブル(快い)ストア”とは言えない。不況で家計が厳しくなると、“コンビニエンスという価値”に、コスト対効果の疑問が目立つようになってきた。

あらゆるビジネスモデルを疑おう

 ほかにも疑問が目立ちだした業種がある。

 不況だと100円ショップがもうかるだろうか? いや、それは疑問だ。かつては「これも100円!」という驚きが新鮮だったが、実は買わなくてもいいものばかり買っていたことに消費者は気付きつつある。驚きで買わせるモデルはすでに限界で、必要不可欠なものだけが選別されている。不況は“100円の価値”も再確認させている。

 ファミレスはどうか。とっくの昔にファミリーモデルは崩壊して、“滞留型レストラン”になってきた。テーブルが広くてドリンクバーもあるので、勉強やサークル活動、仕事の打ち合わせにぴったり。レストランなのに“食の価値<場の価値”なのである。それでいいのだろうか? ファミレスの“レストラン価値”とは何なのだろうか?

 フルラインアップやワンストップショッピングという方程式も怪しい。百貨店の“百貨の価値”は、ライフスタイル提案型ショップの出現で賞味期限切れ。展示や販売に暮らしの物語性が見えず、単なる場所貸しと化してしまった。ショッピングモールの“モールの価値”も疑問だ。似たテナント、同じ体験を全国的に提供している。郊外消費者をステレオタイプに階層化しすぎていないか。どこを切っても金太郎アメなワンストップショップは面白いのだろうか。

 プレミアムブランドの“プレミアム価値”もあいまい。プレミアムとはデザインなのか、品質なのか、信頼や安心なのか、単に無難さを示しているだけなのか。それとも、まさか広告宣伝の総額で決まるものなのか。ウェッジウッドのような高級磁器会社の経営破たんは兆候であり、同様の例が今後続出するだろう。

消費者ニーズは本質へ回帰する

 上の図に示したように、あらゆるビジネスには賞味期限がある。これまで花形と言われてきたビジネスモデルも、20〜30年経てば衰退期がやってくる。不況とともにニッチ市場の探索、体制破壊の好機がめぐってきた。それなのに縮んでばかりいては社員の活力を削ぎ、CHANGEに対応できない。“第2の創業”に踏み出せない。

 “消費者ニーズのフラット化”、それは世界がつながるという意味のフラット化ではなく、ニーズが本質、根本へ回帰すること。不況前までは余裕があるからオマケが付いていても、虚飾にまみれていても消費者は買ってくれた。だがこれからは事業や商品の本質的な価値が吟味される。事業者の思想が問われる時代がやってきた。

 新しい時代で大切なのは、下の図に示すように“自社/自分なりの価値軸”を持つこと。事業とはせんじ詰めれば価値観の普及活動だ。自分が何をしたいか、何ができるか。究極的にはその2つでしかない。不況で事業を縮小させても、心まで縮こませてはいけない。自社商品の本質価値を見極めて、2009年後半からの第2の創業計画作りを始動させよう。

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