長い滞在期間中には、イベントも多いようだが、そういう場合には、特別料理を出すのだろうか?「もちろんです。『ミッドウインター』のお祭りの時には、とっておきの黒毛和牛を振る舞います。また夏の終わり頃、10キロメートルの遠足に出る時などには、『幕の内弁当・駅弁風』を作りますし、オーロラを見に行く時は、熱いおでんを持っていったりします。おでんをほおばりながら一杯やって、オーロラの出現を待つんですよ。
そう言えば、氷山で『流しそうめん』をしたこともありました。ポリタンクに熱湯を入れておいて、熱湯ごとそうめんを流すんです。食べ手が箸でソーメンを掴む頃には80度くらいに冷えていて、それを口に入れる頃には、ちょうどいい具合に冷たくなっているんですよ」(笑)
過酷な自然環境の下での心和む瞬間を演出するのは、プロの料理人が精魂傾けて調理した料理の数々、ということなのだろう。
インタビュー前編の締めくくりとして、篠原さんの南極での生活リズムをお聞きしておこう。
「毎日、午前6時起床です。洗面後、すぐに朝食の準備に取りかかり、午前7時から8時半にかけてが皆の朝食時間となります。
その後、後片付けをしたら、今度は昼食の準備に入ります。12時から13時が昼食時間です。片付けを済ませ、午後2時から4時は休憩時間にしています。寝ているか、散歩しているかですけどね(笑)。午後4時から夕食の準備に入り、午後6時から7時が夕食時間となります。後片付けをすると、もう午後8時くらいになっています。それ以降は、翌日のメニューを考えたり、食材を解凍するなど、仕込みに入ります。
こうした仕事が一段落したら(午後9〜10時以降)、バーに顔を出して一杯やったり、映画を観たりしてくつろぎ、午前0時ごろに就寝という感じですね」
30人ほどで56棟もの各種建屋を管理してゆく南極越冬隊員は、たとえ研究者であっても、自分の専門領域以外の業務も精力的にこなしてゆかなければいけない。そんな中で、越冬隊長と調理担当だけが、その専門の仕事のみに従事していれば良いと聞く。それは、ひとえに、上記のようなハードスケジュールゆえであろう。
さて、南極越冬隊の調理担当として、1年3カ月に及ぶ越冬生活を体験し、今また南極へと旅立った篠原洋一さんだが、彼は、どういう経緯を経て、南極越冬隊に加わったのだろうか? そしてまた、今次再度、南極行きを志願した背景には、一体何があったのだろうか?
篠原さんはどうやって、南極越冬隊の調理担当になったのか。後編ではそれを見ていきたいと思う。(後編に続く)
→どうやって“南極料理人”になったのか――南極越冬隊調理担当・篠原洋一さん(後編)
1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」、「43の図表でわかる戦略経営」、「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。
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