たい焼き、“泳ぎ”続けて100年――その新種が続々と

» 2009年01月14日 08時40分 公開
[産経新聞]

 たい焼きが生まれて今年で100年になる。たい焼き店の元祖とされる東京・麻布十番の老舗「浪花家(なにわや)総本店」が創業100周年を迎えるからだ。明治時代から親しまれてきた「大衆のおやつ」は今も変わらず庶民に愛され続けている。最近では、白い皮や長方形タイプなど新規店の独自商品も次々と誕生。進化を遂げつつ、たい焼きは着実に新たな歴史を刻んでいる。

郷愁の味

創業100年の老舗「浪花家総本店」。四代目の神戸将守さん(手前)が店員とともに1枚1枚丁寧に焼き上げる=東京・麻布十番

 浪花家総本店が開業したのは明治42年。3代目の神戸守一さん(85)は「昔、庶民は大福のような和菓子や高級魚の鯛は食べられなかった。それで、うちの初代が鯛をかたどった焼き菓子を考案したんです」と語る。1個1銭で発売し始めた「たい焼き」は大当たりした。

 4代目の将守さん(51)が店を切り盛りする今も、長く受け継いできた作り方を守り続けている。サクッと香ばしい薄皮、毎日8時間かけて炊きあげる小豆、一枚一枚丁寧に焼き上げる「一丁焼き」…。昔ながらの味を求め、店には大勢のファンや観光客らが訪れる。休日には3時間待ちになることも。

 正月休みに家族4人で訪れた沖縄県浦添市の川野俊弘さん(43)は「あんも皮もおいしい。沖縄では食べられない」と、出来たてを満足そうにほおばった。

 コック帽子姿で来店客に気さくに話しかける守一さんは、実は大ヒット曲「およげ!たいやきくん」(昭和50年発売)のモデルでもある。同曲は昨年、「日本で最も売れたシングル・レコード」(約455万枚)として、ギネスの世界記録に認定された。

 守一さんは「郷愁の味が、たい焼きの魅力。それを守り続けてきたからこそ100年続いた」と話す。

意外性

上から)「たいやき神田達磨」の羽根付きたい焼き、「たいやき研究所」の白い皮のたい焼き、「アクアマリンふくしま」のシーラカンス型たい焼き

 数々の話題を生んできた、たい焼き。その“新種”が今、各地で続々と生まれている。

 昨年1月に熊本県植木町に開業した「たいやき研究所」は、タピオカを使ったもちもちとした白い皮のたい焼きを販売する。元和菓子製造会社社長の中村勝弘さん(61)が考案し、創業した。地元から人気を得て、隣県からドライブ客も訪れるように。「もちや団子とはまた違った意外性のある食感が喜ばれています」(中村さん)という。

 シーラカンスの調査などをしている「アクアマリンふくしま」(福島県いわき市)は昨年3月から、シーラカンス型のたい焼きを発売した。

 また、秋田市のたい焼き店「大塚や」は5年ほど前から、「冷やしたい焼き」を販売している。生クリームを主体に抹茶クリームなど5種類。店主の大塚進さん(60)が夏向けに生み出した。当初は夏限定の予定だったが、「寒くても『冷やし』が食べたい」と好評を得て、現在は通年で冷やしのみを作っている。

 若い世代の創業者も出てきている。一昨年末、東京・神田に「たいやき神田達磨」を立ち上げたのは、林泰広さん(36)。同店のたい焼きは長方形で、型からはみ出した羽根付きが特徴だ。見た目はユニークだが、薄い皮の作りは昔ながら。

 「たい焼き店は50年、100年続けられる商売だと証明されている。期待を裏切らないものを提供し、たい焼き文化を継承していきたい」と林さん。季節によって、甘みを若干変えるなど緻密(ちみつ)に計算された味が大人気となり、昨年11月には2号店を上野に開店した。

 今年2月23日には「たい焼き誕生100年記念企画」と銘打ち、高齢者施設などを備えた東京都千代田区の岩本町ほほえみプラザで、高齢者や保育園児に無料でたい焼きを振る舞う。林さんは「たい焼きを通して昔ながらの世代間交流を深め、笑顔も生んでいきたい。ほっこりするような温かい場になれば」と話している。

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