「世界は美しいものなんだな」と感じてくれる映画を作りたい――宮崎駿監督、映画哲学を語る(後編)“ポニョ”を作りながら考えていたこと(4/4 ページ)

» 2008年11月28日 07時05分 公開
[堀内彰宏,Business Media 誠]
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「生きるのは大変なんだ」と思いながら映画館から帰った

――影響を受けた本や映画で忘れられないものはありますか?

宮崎 忘れられない映画はいっぱいありますね。私が映画を見た時代はアニメーションよりも、大人が見るような映画をずいぶん見ました。日本映画の全盛時代に12歳ごろに出会いました。ですから映画館から帰る時に意気揚々と帰ってくるのではなくて、「生きるのは大変なんだ」と思いながら帰ってきたのが映画の思い出です。

 もちろん西部劇も時代劇も、ターザン映画もずいぶん見たのです。でも時間が経つに従ってそういうのは忘れていってしまって、(自分の心の中に)残っているのは「生きるのは大変だなあ」という映画なのです。

 私はチャンバラ映画のようにワッと切り捨てたらハッピーだとか、バーンと撃ったからケリがついたとかそういう映画を作りたくない。それは「その時は口に甘いかもしれないけれども、自分の記憶には残らないだろう」という気がしています。「自分が行ったことはないけれども、見たことはないけれども、世界は美しいものなんだな」と見た子どもたちが受け止めてくれるようなものが含まれる映画を作りたいと思ってます。

――第二次世界大戦後の日本の歴史の中で、一番懐かしさを感じる時期があれば教えてください。もしなければ、日本の歴史の中でどの時期に懐かしさを感じますか?

宮崎 ずいぶん私は探していたのです。いつが一番良かったのか。どこで止まればよかったのか。

 止まらないことが分かりました。

 例えば昭和30年代を懐かしいという人が日本にいます。「その時期は良かったのではないか」と錯覚を起こしている人がいますが、非常に不幸な時代でした。

 なぜ不幸な時代だったかというと、うっくつした欲求不満がその後に凶暴な公害をもたらすのです。日本中の海や川を汚し、山を削りゴミだらけにしました。そんなに凶暴になることは、かつての日本にはなかったことです。懐かしいと言われている時代に、それだけの欲求不満がうずまいていたのです。実際自分の子ども時代でも、周りの友人たちに学校に行けない人とか、自活しないといけないという人たちがいました。

 江戸時代ならいいのか。それはもちろん惨憺(さんたん)たるものを、たくさん含んだ社会です。

 「いったいどこに止まれば良かったのか」というのは、これはずいぶん探しましたが、結局「楽園というものは自分の幼年時代にしかない、幼年時代の記憶の中にだけあるんだ」ということが分かりました。親の庇護(ひご)を受け、多くの問題を知らないわずか数年の間だけれども、その時期だけが楽園になると思うようになるのではないでしょうか。

各国記者がサインを求める

 プログラム終了後、各国の記者(司会の女性までも!)がサインを求めて、宮崎監督のもとに集まる様子が見られた。その1人1人に丁寧にサインをする宮崎監督。世界中で宮崎監督の作品が受け入れられていることが伝わってくる光景だった。

サインをする宮崎監督とその様子を撮影する報道陣、なぜかケータイで写真を撮る人も(左)、「トトロの絵を描いてほしい」というリクエストに応えて(右)

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