――作品を作るときに、外国人でも共感できる要素を入れることは考慮していますか?
宮崎 実は何も分からないのです。私は自分の目の前にいる子どもたちに向かって映画を作ります。子どもたちが見えなくなってしまうときもあります。それで中年に向かって映画を作ってしまったりもします。
自分たちのアニメーションが成り立ったのは、日本の人口が1億を超えたからです。日本国内でペイラインに達する可能性を持つようになったからなのですが、国際化というのはボーナスみたいなもので、私たちにとっていつも考えなければならないのは、日本の社会であり、日本にいる子どもたちであり、周りの子どもたちです。それをもっと徹底することによって、世界に通用するぐらいなある種の普遍性にたどり着けたら素晴らしい。
――宮崎さんの映画の舞台設定には、欧州、特に中欧や東欧を思い起こさせるものがあります。忙しいスケジュールの中で、世界中を旅する時間があるのかと心配しますが、舞台設定のアイデアはどういったところから思い付かれるのですか?
宮崎 (日本と欧州との間に)もし共通しているものがあるとしたら、人間の社会は似ているところがいっぱいあるんだということだと思うのです。私があえて日本の西の方の世界を中心にして映画を作っているのは、自分が旅行をして発見があったからです。
東京というのは開拓村なんですね。日本の歴史で言えば、新しいところなんです。ひょっとすると今ここにいるところは海の上だったかもしれません。
答えになっていませんかね(笑)。インタビューを受けるのは苦手ですけども、旅行は好きです。着てくる服装を制限するようなところには行きたくないです。
――実際に行った場所から影響を受けていますか?
宮崎 自分が行った場所には全部影響を受けています。行ってすぐ素晴らしいと思ってすぐ映画にしているわけではありません。何年も経ってから映画にしています。アイルランドも素晴らしかったし、エストニアも素晴らしかったし、英国も素晴らしかった。映画にしていませんがフランスに行ってとても素敵な体験をしましたし、クロアチアとかに行って映画を作ってみたいとか思ったり……いい加減なことを言ってすみません。
――クロアチアに実際に行っていないのに、どうやってそこを題材にした映画を作ったのですか?
宮崎 『ポルコ・ロッソ(紅の豚)』※でアドリア海を舞台にした時に、われらが主人公はクロアチアにある島のどこかに隠れ家を持っているように設定したのですが、見に行くことができませんので、航空写真を穴があくほどいっぱい見て勝手にやらせてもらいました。「違っているんじゃないかな」と内心困ってはいたんですけど。
ついでに申しますと、作っている時にユーゴスラビアで内戦が始まりまして、クロアチアのドブロブニクが砲撃されるということがありました。その結果、私たちの映画も長くなって、ちょっと重い内容を持つようになったのですが、今のようにクロアチアが平和になったのはとてもうれしいことです。
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