リクルートで学んだ起業家精神で世界進出――「エコトワザ」大塚玲奈社長(後編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/3 ページ)

» 2008年10月31日 20時50分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

リクルートに入社――起業家になるために

『とらばーゆ』でインターン

 帰国した大塚さんに、同級生たちより1年遅れの就職シーズンが訪れる。

 「夏休みに金融系のベンチャー企業で、秋から冬にかけてはリクルートでそれぞれインターンをしました。『とらばーゆ』に配属されて女性編集長の下で、営業企画の実習を行いました。魅力的な人が多かったですし、ここで働けば短期間で経営的な力をつけられる、と実感しましたね」

 その後、就職活動を本格始動させた大塚さんは、大手広告代理店、メーカー、商社、金融など約20社にエントリーシートを送り、順調に選考を通過していく。しかし、途中で自ら志望先を2社だけに絞り込む。それは、ある経営コンサルティング会社と、リクルートだった。

 「コンサルを志望したのは、国連を目指して大学院に行く可能性を考慮してのことでした。それに対して、リクルートは起業家になることを考えてのことです。というのも、メーカーや商社などは、創業に向けて実力養成するためには10年単位かかると感じたのです。しかし、それでは時間がかかり過ぎる。『石の上にも3年』ではありませんが、3年くらいの時間軸で考えられるところにしたかったのです」

 彼女は、コンサルもリクルートも順調に面接を勝ち上がってゆく。どちらに選ぶのか、気持ちは揺れたようだ。「コンサルは結局、自分では事業ができない、それならリクルートがいいかな……」と思い始めていた時、交通事故に遭遇する。

 「時速80キロメートルで突っ込みましてね。もうダメだと覚悟した瞬間、『このままでは死に切れない、自分の会社を世に残したいのにまだ残せていない』って思ったんですよ」

 そんな思いに気付いたことで、大塚さんの方向性は定まった。インターン仲間20人の中の5〜6人とともに、リクルートに入社した。

人に恵まれたリクルートでの生活

 リクルートでは自ら希望して、住宅情報誌の広告営業部門に配属される。しかし、「実はとんでもない勘違いだったんですよ」と笑う。

 「学生時代に途上国の都市設計に関わるアルバイトをしていたこともあり、公害を減らす都市設計に興味があってこの部門を希望したんです。子どものころにぜんそくで苦しんだこともありましたしね」

 しかし、現実には不動産屋のオジサンたちを相手にマンション広告を取ってくるという、かなり泥臭い仕事だった。「しまった〜って思いましたが、とにかく頑張ることにしたんですよ」と苦笑。

 こうしてスタートしたリクルート生活1年目。大塚さんは、自分の思い通りの日々を送れたのだろうか?

 「人に恵まれましたね。私の教育担当の男性にしても、上司にしても、経営的視点と現場的視点とを合わせ持っていて、とても勉強になりました。最初は高飛車だった私ですが、接客姿勢をはじめとした社会的なトレーニングになりましたし、良い意味で数字への執着を持てるようにもなりました」

 肝心の営業成績はどうだったのだろうか?

 「実は私の担当には難しい案件が多かったのです。以前リクルートと取引のあったところでありながら、何らかの事情で取引停止になった会社や、リクルート嫌いで通っている会社が多くて……」

 しかし、大塚さんはそうした会社から広告を取ることに成功する。「徹底的に資料に当たったりと、普通の人はそこまではやらないだろうということをやったからでしょうかね」

 当時の大塚さんの仕事ぶりは猛烈を極めたようだ。上司からは冗談交じりに「どう猛な性格」と言われ、職場に泊り込むこともあった。自己の職務に対する、プロフェッショナルとしての真剣かつ誠実な姿勢がうかがわれる。

 最も営業成績が良かったわけではなかったが、困難な営業先から受注を取ったという質の高い仕事ぶりが評価されて、大塚さんはリクルートの「新人賞」を受賞する。

 「最初は正直苦しかったです。しかし、難しいお客様でも、商品の価値を感じて頂ければ出稿して頂けるのだという成功体験を通じ、営業手法を自分なりに確立すると、それ以降は順調に行くようになりました」。

リクルートでは新人賞を獲得

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