ホームレス向けのクルマから新たな生き方を見いだした郷好文の“うふふ”マーケティング(2/2 ページ)

» 2008年10月09日 07時00分 公開
[郷好文,Business Media 誠]
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ホームレスになってもモノに執着

 MillsさんのWebサイトにあった次の写真が私にも問題提起した。ホームレスになってもこんなに荷物持ちがいるのだ。この執着が実に人間臭く、実に痛々しくもあった。

 Millsさんに「どのくらいの荷物を載せると想定して、HUVを設計したのですか?」と質問した。彼の答えはシンプルだった。「居住空間を広げることを重視して、最小限の荷物しか載せられないようにしました。持てば持つほど盗まれる危険がありますし」

 写真手前のカゴが所有品入れで、奥の2つのカゴはリサイクル品回収用。ちょうどそのころ、金融危機で経営破たんした証券会社から、身辺整理をしてオフィスを後にする元社員たちの映像をテレビで見た。文書箱1つだけ、腕に抱えて去ってゆく姿だ。HUVのカゴは、その文書箱の大きさくらいだった。

HUVの所有物入れ

 日本の路上を観察しても、重装備のホームレスと軽装備のホームレスがいる。段ボールで“家”を作る人もいれば、着の身着のままで移動する人もいる。ホームレスになろうと、荷物が多い人は多いし、少ない人は少ない。

 余談だが私は「書類の量と仕事の切れ味は反比例する」と思っている。多くの人々を観察した上での結論だ。とすると会社から去る時、身辺整理物が段ボール箱1つ半にもなった私、切れ味鈍しなのだろうか?

“消費”時代から“動費”時代へ

 所有物とその運搬、ノマドと密接な関係がある。

 情報機器で身を固めた“デジタル”ノマドが増え、今やカフェも電車も家も仕事場となる。だから、身軽にモバイルできるミニノートPCが売れる。ソフトウェアもメールもファイルも写真も、ハードディスクではなくネット上にバーチャル所有するようになった。もはや新聞は紙で読まなくなり、小説も携帯で読む。そんな時代だからなのか、私の文章もいつまでもバーチャルな空間に漂い続けるだけで、“本”にならないのを少し嘆いている(笑)。

 モノの所有概念が薄れ、なるべく身軽になろうとする人が増えた。モノは今や、オークションで売るか捨てるかリサイクルするまでの“一時所有品”となった。家は賃貸、友人はネットの中だけ、結婚レスに子どもレス。そもそも恋愛レスで、「決まったパートナーとだけ付き合うのは面倒」という人も増えた。

 “消費”という経済成長期の大量生産・大量消費の用語、低成長と遊牧民の時代に入り違和感がでてきた。遊牧民の世界では“動費”――動きつつ消費、こっちのほうがしっくりくる。

ノマドの血は流れているか?

 Millsさんにはファンドの支援が付いて、現在、数台のHUVを制作中。「ホームレスにモニター貸与して意見を聞き、改良したHUVを全米に供給したい」と語る。だが社会的には、心地良いHUVを普及させるのと、ホームレスを社会に戻すのとどちらがいいのだろうか。う〜ん、複雑だ。

 サラリーマンの家庭にサラリーマンの子息、公務員の家庭に公務員のせがれ。政治家地盤に政治家の後継(ゆゆしき問題です)、芸術一家は芸術肌というように、親が“ノマド遺伝子”を持っているかということは重要な問題だ。来るべきノマド時代に備えて、自分にどれだけノマドの血が流れているか考えてみよう。お決まりの「無人島に何を持っていく?」ではなく、「ホームレスになったら何を運搬する?」と問いかけてみて――。

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