詰め将棋と金融工学とサブプライムローンの関係山崎元の時事日想(1/2 ページ)

» 2008年09月11日 00時00分 公開
[山崎元,Business Media 誠]

著者プロフィール:山崎元

経済評論家、楽天証券経済研究所客員研究員、1958年生まれ。東京大学経済学部卒業後、三菱商事入社。以後、12回の転職(野村投信、住友生命、住友信託、シュローダー投信、バーラ、メリルリンチ証券、パリバ証券、山一證券、DKA、UFJ総研)を経験。2005年から楽天証券経済研究所客員研究員。ファンドマネジャー、コンサルタントなどの経験を踏まえた資産運用分野が専門。雑誌やWebサイトで多数連載を執筆し、テレビのコメンテーターとしても活躍。主な著書に『会社は2年で辞めていい』(幻冬舎)、『「投資バカ」につける薬』(講談社)、『エコノミック恋愛術』など多数。ブログ:「王様の耳はロバの耳!


 読者は「金融工学」という言葉にどんなイメージをお持ちだろうか。金融工学の成果といえば、オプションの価格を計算する「ブラック・ショールズ式」が有名だ。ブラック・ショールズ式を導くためには、大学の理科系レベルの確率微分方程式を解かなければならないので、分科系出身者が多い一般のビジネスマンにとっては相当に難解だ。だが、ブラック・ショールズ式で価格が計算できるようなものは、金融工学の世界ではかなり単純な方に属するオプション。現実の世界にあるオプションないしは、オプション的な性質を持った金融商品の価格を計算する手続きは、もっと複雑なことが多い。

 金融工学の研究者たちは「こんなものの価格はこうしたら計算できる(はずだ)」というパターンを探しつつ、数学の腕を競うことに精力を傾ける。そして彼らの多くは、自分の研究成果が現実をうまく表せていると考えている。

悪用される金融工学

 研究者というのは、どの分野でも似たようなものなのだろうが、筆者の率直な印象を言うと、金融工学の研究者は「詰め将棋」のマニアに極めてよく似ている。

 詰め将棋とは、将棋のルールに基づいて作られた一種のパズルで、王手の連続で相手の玉(俗には「王様」)を詰める手順を解かせるものだ。詰め将棋は江戸時代に大いに発達を遂げて、手順が何百手もかかるような作品が数多く作られている。筆者は学生時代に将棋部だったので少々事情が分かるが、日本全国にはおそらく3000人くらいの極めて熱心なマニアがいる(「詰め将棋パラダイス」という権威のある雑誌が存在する)。

 詰め将棋を作ったり解いたりする能力は、ゲームとしての将棋にもある程度は応用できるが、詰め将棋のマニアと将棋の強豪は、多くの場合別々の存在だ。詰め将棋のマニアにとっては、自分の作品が現実の将棋を指す上で役に立つかどうかということではなく、詰め将棋自体としての美しさ、構成の見事さが大切だ。彼らは、マニア同士の世界で一目置かれるような作品を作ることに心血を注ぐ。

 金融工学が詰め将棋に似ている点は、詰め将棋と同様に「解けるように作った人工的なパズル」を作ってみせることが業績になる点と、その業績を評価するのが同じ世界のマニアたちだという点だ。

 しかし現実の将棋は、詰め将棋のように勝てることは滅多にない。同様に、金融工学を応用した商品が、投資家の期待通りの価値を持つかどうかは、極めて不確実だ。率直に言って、最先端の金融工学を使ったからといって、他人よりも有利に「儲かる」ようには、金融市場はできていない。仮にそのようなことがあるなら、金融理論研究を先導するような米国の大学院は、産油国並みの富を集めていても不思議ではないが、そのようなことは起こっていない。金融工学の研究に「儲けの手段」を期待するのはまったく「センスが悪い」のだ。

 なぜなら、金融工学で金融商品の価格を計算するときの根本原理は、価格は合理的に決まるはずであり、リスクを取らずに有利に儲けることはできないという原則(「裁定の非存在」)だ。正しく計算された金融商品に投資して、有利な儲けを得ることはできないはずだし、現実には、商品の売り手は、商品価格の中に自分の利益を忍び込ませようとするから、投資家の立場は理論値よりもかなり不利になっているはずだ。

 しかし、世の中には、EB(Exchangeable Bond、他社株転換権付き債券)とか、仕組み預金(例えば1ドル105円よりも円高にならなければ利回り2%というような、賭博のような預金)といった、金融工学を応用した金融商品が多数存在する。

 こうした商品の存在を、それこそ金融工学的に解釈すると、売り手にとって正しく計算された価格で提供されている限り「正しい価格が計算できる投資家」はそんな商品を買わないはずだから、売り手が計算間違いをしていないだろうと考えるなら、まともな判断力がない人だけが買い手になっているとしか考えられない。はっきり言って、罪作りな話だ。

 最近はあまり街角で見かけなくなったが、昔は「大道詰め将棋」というのがあった。大道詰め将棋とは、素人が間違いやすい詰め将棋を「解けたら賞品をあげる」と釣って、有料で解かせて間違えさせるような少々悪質な商売。この悪質な大道詰め将棋とデリバティブ(金融派生商品)を使った個人向けの金融商品の本質は、ほぼ同じだ。「半分かり」の客がいいカモになる。

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