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誠誠

» 2008年07月26日 12時26分 UPDATE
インタビュー

あなたの隣のプロフェッショナル:

天然氷のかき氷店「埜庵」主人――石附浩太郎氏(後編) (1/3)

フルーツのかき氷で人気の「埜庵」店主は、音響機器メーカーに勤める成績優秀な営業マンだった。東京で働くビジネスパーソンがなぜ天然氷に目覚め、かき氷店を出すに至ったのか? 転機となったのは、秩父の天然氷蔵元「阿左美冷蔵」との出会いだった。

[嶋田淑之,Business Media 誠]


「あなたの隣のプロフェッショナル」とは?:

人生の多くの時間を、私たちは“仕事”に費やしています。でも、自分と異なる業界で働く人がどんな仕事をしているかは意外と知らないもの。「あなたの隣のプロフェッショナル」では、さまざまな仕事を取り上げ、その道で活躍中のプロフェッショナルに登場していただきます。日々、現場でどのように発想し、どう仕事に取り組んでいるのか。どんな試行錯誤を経て今に至っているのか――“プロの仕事”にロングインタビューで迫ります。インタビュアーは、「あの人に逢いたい!」に続き、戦略経営に詳しい嶋田淑之氏です。本連載では、知っているようで知らない、さまざまな仕事を取り上げていきます。


 湘南のかき氷の人気店「埜庵」。ほとんどの飲食店において、かき氷という食べ物は“夏季限定”の商品だ。しかし埜庵では通年でかき氷を提供しており、春には春、冬には冬のかき氷が楽しめる。埜庵のかき氷は、“子ども向けの夏のおやつ”というレベルをはるかに超えた大人のデザートとして、「かき氷ってこんなにおいしいものだったのか!」と、訪れる客に驚きを与え続けている。

 埜庵のご主人・石附浩太郎氏(43歳)は、独創的なオリジナルシロップ、冬の間に自ら制作に携わる天然氷、一見・常連の別なく、来店客それぞれに対する丁寧で心のこもった個客対応で、現在の立場を築いている。埜庵の経営のほか、真冬になれば山に入り、自らも天然氷作りに携わっている“氷のプロフェッショナル”だ。

 実は石附氏、もともとはビジネスマンだった。一体どのような思いや経緯でかき氷の世界に飛び込んだのだろうか? そして今後、どういう方向に向かおうとしているのだろうか?

 →天然氷のかき氷店「埜庵」主人――石附浩太郎氏(前編)

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もてなしの喜びを知った学生時代

ay_noan01.jpg 「埜庵」店主の石附浩太郎氏

 石附氏は、東京都世田谷区のサラリーマン家庭で生まれ育った。

 「おっとりした普通の子供だったと思いますよ。ただ、家が下宿屋もやっていて、大学生たちから、美味しいコーヒーの入れ方とか料理とかを教わりましたね。それで自分でも作るようになって、家に集まってくる友人たちに振舞ったんですよ。美味しいと思ってほしい、喜んでほしいという気持ちが強かったですね。そんな中で、将来は、喫茶店とかをやってみたいな……と思ったりしました」。石附氏が“もてなし”に開眼した瞬間である。

 1985年、日本大学商学部に入学。「大学時代は、テニスサークルと、バイトに明け暮れました。バイトは、居酒屋、焼鳥屋、鰻屋、新幹線の食堂車の厨房……あぁ、そう言えば、どれもこれも外食関係のバイトばかりですね」と笑う。やはり、食を通じて人をもてなす方向に関心が向かっていたのだろう。

 「勉強は熱心にはしませんでしたが、ゼミで取り組んだ『商品学』だけは、まじめに取り組んでました。今考えても『ちゃんとやっておいて良かったなあ……』というくらい役立っています」

らつ腕のビジネスマンとして活躍

 石附氏の大学時代は、バブルまっさかり。就職活動も難なく乗り切り、1989年、内装関係のメーカーに就職した。

 「壁紙を作る会社のインテリアコーディネーター見習いのような仕事をやっていました。バブル期ということで、オフィスのインテリアをリニューアルしたいという企業が多く、仕事は猛烈に忙しかったですね。面白かったけど、全然休めないのはキツかったです」と当時を振り返る。

 ところが、1991年にバブルが崩壊。たちまち仕事がなくなり、地方への異動話の出た石附氏は、新天地を求めて音響機器メーカーに転職する。

 「販売店に対して、売り場の提案をするのが私の役目でした。しかし、ちょうどバブル崩壊後ということで、効率化とかコスト削減など『バブルの後処理』の業務が多かったですね」

 オーディオ機器メーカーには、AVオタクともいえるくらいAV機器が好きな社員が多い。そういったほかの社員に比べると石附氏は「もともと、あまり(オーディオ機器に)興味がなかった」が、「どうやったらモノが売れるのか?」を考えるのは、好きだったという。

どうやったらモノが売れるのか?――基本は、人への興味と貢献

 「どんな場合でも、売れない理由は明確なんです。それは“何かがマッチしていないから”なんですよ。それを解明して、売れるようにするんです」――石附氏は事もなげにそう語るが、なかなかできることではない。実際、氏の成績は非常に良かったようだ。その要因は、どこにあったのだろうか?

 「店や会社をどうやって儲からせるかではなく、困っている人を助けるにはどうしたら良いかを考えていました」(石附氏)。目の前にいる人への興味と、その人のためになりたいという貢献志向が、石附氏のモチベーションの源泉になっていたということである。学生時代の“もてなしの喜び”から、今現在の個客志向まで、連綿と続く志向性がここにも見出される。

 しかし、こうした石附氏の活躍は、会社の当時の雰囲気とは必ずしもフィットしなかったようだ。「部門として売上があがっていないのに、一人だけ売れているのは部門として有り難くなかったようですね(苦笑)」

 次第に会社への幻滅を強めていった石附氏に、大きな転機が訪れる。

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