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» 2008年07月10日 17時59分 UPDATE

郷好文の“うふふ”マーケティング:マイナスイメージを逆手に――悪役マーケティングのススメ (1/2)

世に悪役は数あれど、好かれる悪役と嫌われる悪役とに分かれるもの。奥菜恵さんや山本モナさんなどの評判の移り変わりを手本に、悪役になったときの効果的なマーケティング法を学ぶ。

[郷好文,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

 マーケティング・リサーチ、新規事業の企画・開発・運営、海外駐在を経て、1999年よりビジネスブレイン太田昭和のマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略、業務プロセス改革など多数のプロジェクトに参画。著書に「ナレッジ・ダイナミクス」(工業調査会)、「21世紀の医療経営」(薬事日報社)、「顧客視点の成長シナリオ」(ファーストプレス)など。現在、マーケティング・コンサルタントとしてコンサルティング本部に所属。中小企業診断士。ブログ→「マーケティング・ブレイン」


 悪役には存在感がある。眼光、口もと、言葉、たたずまい。世間からの反目をモノともしないアウトローな情念。善良な人々と悪役たる自分との距離感を“値踏み”し、善良者の心にさざ波を立てることに生き甲斐を感じる。悪いヤツを演じることに満足を覚え、善人の包囲網をせせら笑い、孤独に耐える強靭(きょうじん)な心を持つ。そんな悪役になぜか引きつけられるのだ。

 悪役は天性のものか、演じる役割なのか、それとも降りかかった災難なのか。

 悪役は映画やテレビの中だけの話とは限らない。実写活劇で悪役出演が高じれば、オフにぶらりとお天道様を歩いていても、「あ、悪漢だ!」と子どもにケリを入れられるかもしれない。マスコミで炎上している本人が出没すると、遠目からチラリと見られただけで「お〜やっぱり、雰囲気ワルだな」とささやかれたりする。本人は子どもを保育園に迎えに行く途中だったかもしれないのに。

 悪役には“キャスト(映画や芝居やドラマの演技者)”と“社会悪(アウトロー、事件の渦中の人)”の2つのタイプがある。そのマーケティング価値をキャストから見てみよう。

悪役はしょせんフィクションさ

 希代の悪役と言えば映画『羊たちの沈黙』のアンソニー・ホプキンスさんだろう。あの冷酷で知的で残忍なシリアルキラー、“ハンニバル・レクター”は悪役中の悪役。その圧倒的な邪悪な演技をするには、“なりきる”のだろうか? 実は「演技に過ぎない」と彼は語っている。

 「アクターズスタジオ(米国の演劇学校)の学生から『その役柄に心底なりきるにはどうするんですか?』と聞かれた。オレはこう答えた。『そいつはムリだ。しょせんはフィクションさ。例えばニクソン(元大統領)のような実在の人物を演じても、それは君自身だろ?』とね」

 悪役も善玉もしょせんフィクション、だから大事なのは迫真の演技ができるかどうかだけだ。役柄になりきるのではなく、台本を演じきるのだと彼は語る。それでも観客は役と役者を同一視する。舞台やブラウン管(今や液晶ですが)での悪役だけでなく、その生きザマの悪役ぶりを楽しむのも観客(世間)である。

演技の悪が先、私生活の悪は後

 女優には“暴く”という武器がある。ちょっと前は石原真理子さん、最近では奥菜恵さんだ。奥菜恵さんは2008年4月、『紅い棘(とげ)』という本を出版した。そこには暴きの棘が仕込まれていた。最大の棘はITベンチャー社長との結婚と離婚。

ah_okina.jpg 『紅い棘』表紙の奥菜恵さん

 カバー写真からして悪役の香りが漂う。帯には“清純派、魔性の女、結婚、離婚……”という文字が踊る。メイド姿もある“自分撮り”の写真は清純派アピール路線とは対極。夫婦ゲンカは犬も食わないので論じないけれど、赤裸々な恋多き姿に共感するコアなファンを除けば、たいていの人はこの暴きに、演技ではなく悪役を見た。悪を暴いたつもりが、かえって悪のイメージを背負ったのだ。

 女優とは演技を通じて夢を与える職業で、モンスターを物語で演じても私生活は別。演技に悪が香る分には褒めそやされるが、、私生活で悪が過ぎると観客は引く。

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