「会社は誰のものか」を世に問うた――村上世彰の功罪とは?財務で読む気になる数字(2/2 ページ)

» 2008年07月09日 06時09分 公開
[GLOBIS.JP]
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株主を軽視する企業に圧力をかけ企業価値の毀損を回復

 村上ファンドはその後も、アクティビスト株主として多数の企業の株を買い集め、経営者にプレッシャーをかけていった。

 以前このコラムでも説明したが、日本には最近まで、株主資本比率の高さが安定性の象徴とばかりに、活用するあてもなく過剰な現預金を貯め込む企業が多かった。こういう企業には、純資産倍率(PBR(用語):株価が1株あたりの簿価の株主資本の何倍で取引されているかを示す指標)が1倍以下であり、豊富な現預金を持ちながらも解散価値が現預金の額に満たないといった状態にあるところが相当数あった。

 この点に目をつけたのが村上ファンドであり、その後のスティール・パートナーズといった投資ファンドである。

 企業価値そして株主価値(用語)の向上に目を向けない企業の株を買い集め、経営者にプレッシャーを掛けることで、余剰キャッシュを増配や自己株式の買い取りの形で会社の外部に放出し、それまでの企業価値の毀損を修復するというのが彼らの手法であった。

 この過程で村上ファンドは大きな株式売却益を手にしていった。この素晴らしい運用実績を見て、海外の大学財団や国内の機関投資家や企業は高利回りを期待して村上ファンドに多額の資金を預けるようになり、2006年初めにはファンドの規模は4000億円を上回るまでに成長した。なお、1999年の村上ファンドの設立時に、当時富士通総研理事長であった現日本銀行総裁の福井俊彦氏が1000万円出資していたことが判明し、世の中を騒がせたことは記憶に新しい。

成功しすぎが仇となり村上ファンドは道を外した

 そして、2006年6月の村上氏の逮捕に結びつく、日本放送株式のインサイダー取引疑惑が起こった。

 この疑惑の端緒は、2004年秋ごろの村上ファンドによるニッポン放送株式の取得であるが、私は、この時期あたりから村上ファンドの本質が変質してきたのではないかと考えている。

 それまでの村上ファンドは株主軽視の経営を続けている企業をターゲットとして経営者にプレッシャーをかけ、活用されていない大量の余剰資金を経営者から株主のもとへ還元させることによって企業価値の毀損を修復していたと言える。

 しかし、成功したあまりにファンドに大量の資金が流入し、その状況でも以前と同様の高い利回りを還元してほしいという投資家の期待に応えなければならなくなったことが、村上氏や村上ファンドが道を外した原因と私は考える。投資家から期待され、過剰にプレッシャーをかけられたために、それまでは企業価値を回復させてきた村上ファンドの性格が変質してしまったのではないだろうか。

 村上ファンドの事件は、成功しすぎたための失敗と言えるだろう。

 「株式会社の所有者は誰か」という質問に対する回答は、法律的に言えば株主である。株主は企業が保有する資産から債権者の取り分を差し引いた残り物にしか権利を持たない。債権者に比べ、より多くのリスクを背負っているからこそ、株主総会を通じて企業の経営を担う経営者(取締役)を選任する立場にあるのだ。しかしながら、長期的な企業の発展は、企業を取り巻く各種のステークホルダー(用語)(従業員、顧客(用語)、取引先、資金提供者等々)を満足させないことには実現できない。ステークホルダーが満足して初めて、長期的に企業の価値は高まり、その結果として株主の取り分(つまり株式時価総額)も増加していくのである。

 ところで、前述のような余剰キャッシュをためこみ企業価値を損ねている企業の場合、被害者は誰かといえば、株主と言わざるを得ない。この観点から、村上ファンドやスティール・パートナーズは株主の立場で、毀損している企業価値の復元を目指して経営者にプレッシャーをかけるのである。

 確かに、村上ファンドやスティール・パートナーズは昔から当該企業の株主であったわけではなく、突然株主名簿に現れ、過去の株主の犠牲の上に蓄積された資産の上前をはねているという見方もできる。そうした視点から、グリーンメーラーやハゲタカファンドと何が異なるのかという意見が出るのも、もっともである。

 とはいえ、村上ファンドが日本経済に貢献した点もある。1つは、間違った経営方針によって企業価値の毀損を続けてきた経営者に反省を促したことだ。そして、企業に関わる全てのステークホルダーの満足度を高め長期的な企業価値の向上を図ることが企業経営者の責務であるという点を、経営者そして世間に認識させたことは、大いに評価すべきと私は考える。

斎藤忠久(Tadahisa Saito)

東京外国語大学英米語学科(国際関係専修)卒業後フランス・リヨン大学経済学部留学、シカゴ大学にてMBA(High Honors)修了。富士銀行(現在のみずほフィナンシャルグループ)を経て、富士ナショナルシティ・コンサルティング(現在のみずほ総合研究所)に出向、マーケティングおよび戦略コンサルティングに従事。その後、ナカミチにて経営企画、海外営業、営業業務、経理・財務等々の幅広い業務分野を担当、取締役経理部長兼経営企画室長を経て米国持ち株子会社にて副社長兼CFOを歴任。

その後、米国通信系のベンチャー企業であるパケットビデオ社で国際財務担当上級副社長として日本法人の設立・立上、日本法人の代表取締役社長を務めた後、エンターテインメント系コンテンツのベンチャー企業である株式会社アットマークの専務取締役を経て、現在エムティーアイ(JASDAQ上場)取締役兼執行役員専務、コーポレート・サービス本部長。


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