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» 2008年07月01日 07時58分 UPDATE

松田雅央の時事日想:人口激減、そのとき都市は――旧東ドイツの事例に学ぶ「新しい街づくり」

2005年を境に人口減少の時代に突入した日本。街づくりは人口増を前提にしているため、“縮小の街づくり”は研究段階にしかない。ここで紹介するのは、短期間で人口が激減した旧東ドイツ地域の街づくりの事例だ。街を縮小しながら活性化させる、“攻め”の街づくりとは?

[松田雅央,Business Media 誠]

松田雅央(まつだまさひろ):ドイツ・カールスルーエ市在住ジャーナリスト。東京都立大学工学研究科大学院修了後、1995年渡独。ドイツ及びヨーロッパの環境活動やまちづくりをテーマに、執筆、講演、研究調査、視察コーディネートを行う。記事連載「EUレポート(日本経済研究所/月報)」、「環境・エネルギー先端レポート(ドイチェ・アセット・マネジメント株式会社/月次ニュースレター)」、著書に「環境先進国ドイツの今」「ドイツ・人が主役のまちづくり」など。ドイツ・ジャーナリスト協会(DJV)会員。公式サイト:「ドイツ環境情報のページ(http://www.umwelt.jp/)」


 2005年、戦後初めて日本の総人口は減少した。明治以来続いてきた人口増加の傾向は終わり、歴史的な大転換点を迎えたことになる。2006年は前年より出生数が3万2000余り多く、総人口の減少は止まったとはいえ、同年の合計特殊出生率(1人の女性が一生に生む子供の数)は1.32。これが劇的に改善され少子化に歯止めがかからない限り、人口減少は今後さらに加速する。

 しかし、これまでの街づくりは人口増加を前提としており、人口の減少に合わせて住宅を取り壊し、街の機能を集約するような「縮小の街づくり」はいまだ研究段階にしかない。地元市民や政治家にとって人口減少は地域の衰退を意味し、「ほかの自治体は人口が減っても、ウチだけは増加する」という幻想から抜け出るのはなかなか難しい。

数年で人口が半減した巨大団地

 日本と同様、急速な少子高齢化に直面しているドイツの人口減少は日本より2、3年早く始まった。

 ただし、旧西ドイツ地域と旧東ドイツ地域の状況は異なり、旧西ドイツ地域は逆に若干増加している。これは出生率の増加によるものではなく、旧東ドイツ地域からの移住によるもの。1990年の東西ドイツ再統合による経済崩壊が引き金となって、旧東地域からは働き盛りの世代を中心に人口の大流出が起きた。例えばザクセン・アンハルト州では、1985年と2005年を比較して人口が18%も減少している。

 旧東ドイツ時代に造られた巨大団地の状況はさらに深刻だ。そういった住宅地は人口減少の波をもろに受け、わずか数年で人口が半減したところさえある。

 旧東ドイツ地域の「街改造計画」は、そういった切羽詰まった状況から生まれた。日本と比べて極端な状況ではあるが、だからこそ10年後あるいは20年後の日本を考える上で大きな示唆に富んでいるのではないだろうか。

yd_m1.jpg 旧東ベルリン地域の巨大団地。こういった団地の空き家率は10%を越え、地域によっては30%に達する

中心市街地の荒廃を防ぐ

 人口が急激に減少している地域は、空き家の多さですぐそれと分かる。

 旧東ドイツ時代の建物は資金不足から補修がままならず、住宅・自動車・工場の排気ガスもあってネズミ色に染まっている。一旦空き家となった建物が荒廃するのにさほど時間はかからず、ポーランドとの国境沿いにある人口6万の町ゲルリッツにもそういった廃墟が目立つ。

 しかしながらゲルリッツの中心市街地がすべて荒廃しているかといえば、そういうわけでもなく、各種補助金により新築同様に改修された建物も多い。荒廃した建物と真新しい建物が交互に建ち並ぶ都市景観は独特だ。こういった補助金の出所は旧西ドイツ諸州の拠出金であり、ドイツ再統合から18年経った今も毎年数千億円規模の資金が西から東へ流れている。

 このように中心市街地の空き家をあえて取り壊わさず、多額の資金を注ぎ込んで改修するのには訳がある。

 建物を虫食い的に取り壊すと、これまで数百年をかけて積み上げてきた街の景観が簡単に崩れてしまう。歴史的な街並みは掛け替えのない財産であり、貴重な観光資源でもある。ゲルリッツの人口は3割以上も減ったが、最近やっと人口減少にストップがかかった。観光客が増え街に活気が戻ってきた最大の要因は、中心市街地を生き返らせるという明確な街づくり戦略の存在だ。

yd_m2.jpgyd_m3.jpg 旧東ドイツの町ゲルリッツの中心市街地。古い建物と改修を終えた建物のコントラストが強烈(左)、ゲルリッツのメインストリート(右)

yd_m4.jpg ゲルリッツの中心市街地で開催された夏のフェスティバル

取り壊しから減築まで

 一方、郊外型の巨大団地の状況はまた異なる。

 1970年代、住宅不足解消のため建設された旧東ドイツ各地のプレハブ式団地は再統合後、30%にも達する住民の流出にあえいでいる。当時の市民にとってセントラルヒーティングを完備した「お湯の出る最新式アパート」は夢の住宅だったが、資材と資金が不足する中で急ピッチに建てられたアパートは狭く、西の基準に照らすと設備は貧弱だ。

 空き家率の高い団地は、インフラと建物の維持管理に金の掛かるお荷物でしかない。空き家率が50%を超えたとしてもエレベーターは動かさなければならないし、キャパシティーが過剰だからといって上下水道を止めるわけにもいかない。建物の管理費用は建物を所有する住宅供給公社や住宅組合所有の財政を圧迫する。

 現実的な解決策は、ある程度まとめて建物を取り壊す以外にない。バリエーションとして、例えば11階建ての上部7階分を取り崩す「減築」という手法もあるが、いずれにしても住宅数を大規模に減らすことが不可欠だ。なお、単に取り壊しを進めるだけでなく、平行して既存の建物を改修し、より良い住宅環境の整備も行われている。

yd_m5.jpgyd_m6.jpg 旧東ベルリン地域にある団地の減築工事(左)、改修の終わったアパート(右)

取り壊しが可能な理由

 しかし、取り壊しや減築は言葉ほど簡単ではない。

 取り壊しの費用に関しては国・州・自治体から住居面積1平方メートル当たり1万円程度(60ユーロ)の補助金が出るものの、建物を失うことに対する所有者(住宅供給公社や住宅組合)への補償は一切ない。

 そうなると、所有者にはどんなメリットがあるのだろうか。

 第1のメリットは維持管理費のかさむ余計な物件が減ること。さらに、取り壊わされる建物の住人が別のアパートに引っ越してくれれば、そちらのアパートの空き家率が改善される。加えて、計画的に取り壊された建物に関しては建設時の借金(1平方メートルあたり1万2000円程度)が帳消しになる利点もある。財産が減るのは痛いが、だからと言って不良物件を過剰に抱える余裕もないのが現状だ。

 ただ、こういった手法は建物の主な所有者が住宅供給公社や住宅組合であり、アパート形式が多いからこそ可能になる。もしマンション形式が主であるとすればこうはいかないはずで、この点が日本のニュータウンとは異なる。

 必ずしもドイツの手法が日本で使えるわけではないが、それでも多くのヒントが隠されているように思う。

「攻め」の街づくり

 旧東ドイツ地域の新しい街づくりは日本でよく「縮小政策」として取り上げられる。しかし、このネーミングは考えものだ。何より言葉の響きがネガティブすぎる。

 もう一点問題なのは、縮小政策という言葉がセンセーショナルであるが故に、それだけがクローズアップされること。旧東ドイツ地域で行われているのは人口減少を正面から見据えた新しい街づくりであり、縮小政策はその手法でしかない。街の縮小は決して目的ではないのだ。

 別の表現をすれば、旧東ドイツで行われているのは「街を縮小しながら、街を活性化させる野心的な試み」であり、前を向いた攻めの街づくりである。

 それができるのは、旧西ドイツ地域に旧東ドイツ地域の復興を支える財政的な余裕があるから。日本でも新たな街づくりを始めるとしたら、国が元気なうちに取り組まなければならない。

 各自治体にとっても、始めるなら早い方がよい。

 いち早く人口減少の収まった都市ライプツィヒは街づくりのモデル地域として知られる。各都市が人口減少を前提とする新たな街づくりに取り組み始めたのは2000年頃だが、ライプツィヒはそれより2年早く始めている。それが成功の秘訣(ひけつ)だ。新たな街づくりはほかの自治体との競争であり、わずかな時間差が後々大きなアドバンテージとして跳ね返ってくる。

yd_m7.jpg ライプツィヒ市街地の空き地利用例

 建物の跡地利用も重要な課題。単なる空き地にはゴミの不法投棄や犯罪といった問題が起きやすく、地域の雰囲気も暗くなる。そういった空き地は自治体が費用を負担し、地元住民が使える公園や貸し農園として整備したり、若い芸術家向けに野外展示場として提供するなどしている。

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