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» 2008年06月05日 18時17分 UPDATE

郷好文の“うふふ”マーケティング:私のマーケティング物語 (1/2)

もし「ライダーブーツを作れ」と命じられたとしたら、あなたはまず何から始めるだろうか。ライダーにヒアリングする? 競合メーカーのブーツを分解する? それも1つの方法ではあるが、しかし本当のマーケティングではない――筆者はそう思うのだ。

[郷好文,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

 マーケティング・リサーチ、新規事業の企画・開発・運営、海外駐在を経て、1999年よりビジネスブレイン太田昭和のマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略、業務プロセス改革など多数のプロジェクトに参画。著書に「ナレッジ・ダイナミクス」(工業調査会)、「21世紀の医療経営」(薬事日報社)、「顧客視点の成長シナリオ」(ファーストプレス)など。現在、マーケティング・コンサルタントとしてコンサルティング本部に所属。中小企業診断士。ブログ→「マーケティング・ブレイン」


 20年間、ずっと心の隅にあった1冊の本がある。

 その本を読んだ頃、私はマーケティング・リサーチャーだった。企業から依頼されたテーマがある。データを集め、知識を蓄え、取材をして報告書をまとめ提出する。それが仕事のサイクルだった。そのテーマはある輸入製靴の販売チャネルを再構築するための基礎調査で、発注主は広告会社だった。靴の知識を得るために浅草周辺を歩きまわり、国会図書館に通い、何冊かの本を購入した。調査テーマとは直接関係がないけれど、惹き付けられた本があった。シューズデザイナーの“夢”と“大好き”が詰まっていた。高田喜佐さんの本『私の靴物語』。奥付には昭和63年(1988年)とある。

KISSA SPORT 長靴の原点

 それから20年後、私はスパイラル(南青山にある、ワコールの文化複合施設)のWebサイトで『KISSA SPORT 長靴』を見た。高田喜佐さんの靴ブランド『KISSA』の30年に及ぶロングセラーだ。

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 “ずん胴のシルエットはゴムの圧迫感がなく、しっかりした底と3センチのヒールによって、濡れた路面で長時間はいても疲れないようデザインされています。くっきり入ったラインが、様々な服とのコーディネートを引き立ててくれます。”(スパイラルオンラインストアより)


 記憶がよみがえってきた。『私の靴物語』にたしか長靴の話があったはず。黄ばんだ紙のページをめくった。

 「馬にまたがった状態を基本に作ってあるので、町で歩くブーツではないのだけど、造りの見事さ格好よさに魅せられて、少しずつ慣らしては馴染ませ、はき込んでいた」(私の靴物語)

 長靴のデザインのもとは、乗馬靴専門職人に“飛び込みでオーダー”した彼女の乗馬靴だった。今どき、もっと凝ったデザインの長靴はある。だがそれらのデザイン長靴は、高田喜佐さんの「雨の日だけでなくて晴れの日にも履ける“おしゃれな長靴”が欲しい」という想いから始まっている。乗馬靴の美しいシルエットを長靴に生かすことに1年を費やし、1975年春に発売した。

 長靴から乗馬靴へ。跳躍のような衝動に突き動かされて、私は株式会社キサに連絡をした。代表者の高田邦雄さん(2年前に亡くなった喜佐さんの弟)は快く「いらっしゃい」と返信をくれた。

“自分が楽しい”から始まる商品開発

 今20代、30代の人は喜佐さんのことを知らない。1970年代にポックリ(コルクの厚底靴)、ファッションズック(靴のTシャツと言われた)、マニッシュカジュアル、草履サンダル、そしてタウン用の長靴などを産み出した人。今店頭に並ぶ多くの靴の原点は喜佐さんの想いから生まれている。そう書くと“シューズデザイナーの草分け”っぽいが、彼女には“トレンドを作りたい!”とか“常識破りをしよう!”といった商売の野心や計算はなかった。

 「すべては“自分が楽しい”から始まるんですよ」

 KISSA SPORTシューズの販売、KISSAブランド管理、そして、KISSAの革靴を愛用するファンのために修繕を請け負うキサの高田邦雄さんは、「どの靴も“喜佐の楽しい”が原点」と語る。

ay_go03.jpg 高田喜佐さん

 だが個性あふれる靴は、最初は見向きもされなかった。靴作りを始めた60年代半ばは、大量生産・大量消費時代のまっただ中。小ロットの“夢の靴”は、商品ではなく作品に過ぎなかった。1970年代に入り、モノが行き渡り溢れだし、ファッションは個性化の時代に入った。大量生産品から個性重視へ時代は変化した。“楽しい”があふれる靴KISSAが歩きだした。

“この夕陽はもっと赤い”

 「喜佐はイメージ先行の人だった」と邦雄さんは語る。「芝居に凝ったときがあったんですね。着物を着て芝居を観にいく。そこで喜佐は自分がどんな着物を着て何を履きたいか想像する。人形浄瑠璃とか義太夫とか内容は分からなくても、カタチから入るんです」

 40代になってバイクの免許を取った喜佐さん、バイクに乗る自分の足元をキメたくてライダーブーツを作った。だがギアチェンジをする甲の部分に補強が必要なことに後で気付くくらいだった。好きだから作る、まさに“天然の人”。リサーチもなければ競合分析もない。

 百貨店で展覧会のプロデューサーをしていた邦雄さんとの話は、喜佐さんから流れた。

 「“この夕陽はもっと赤い”と篠山紀信が言うんですよ」

 邦雄さんはある写真展をプロデュースし、篠山紀信氏とともに仕事をした。写した写真を焼いたとき、写真家が言った。焼いた写真が“彼の目が見る光景”より赤くない、と。だからもっと赤く焼きなおした。別の写真では“この山はもっとパープルだ”とも言った。その人自身のファインダーを通したものが作品であり商品になるのだ。

 喜佐さんの靴作りも同じ。冨田悠子さんらスタッフとアイデア出しをする。あれもいい、これも欲しいと意見は百出。最後は喜佐さんが引き取り、彼女の想うカタチを靴にする。

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