田中康夫県知事が踏み込んだ、その時――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(中編)嶋田淑之の「この人に逢いたい!」(2/4 ページ)

» 2008年05月03日 11時18分 公開
[嶋田淑之,Business Media 誠]

他の温泉施設でも“同時多発的に”行われていた入浴剤投入

 入浴剤投入が、もし白船グランドホテル1館でだけ行われたのであれば、それほど大きな問題にはならなかったのかもしれない。ところが、実は同時期に、白骨温泉の他の温泉施設(公共野天風呂や温泉旅館)でも、湯が白濁しなくなり、ほぼ「同時多発的に」入浴剤の投入が行われていたのである。

 ゆづるさんは言う。「まさか他の施設でもそんなことが行われているなんて、当時は想像もできませんでした」。

 なぜ、白骨温泉の湯は白濁しなくなったのか。その理由は、今も明らかになってはいない。もしかするとこの頃、白骨温泉の地中深くで何らかの変動が生じ、それが各旅館の源泉の泉質や色合いに影響を与えていたのかもしれないが、もちろん本当のところは分からない。

 原因は何であれ、「乳白色の湯」というキャッチコピーが人気の一因になっている白骨温泉にとっては、重大な問題であった。しかしそのことに関し、「白骨温泉旅館組合」として、正式に対応が協議された様子はない。「各旅館とも、殺到するお客様への対応に追われていたというのが正直なところです。それに何より、あのころはどこの旅館からも、湯が白濁しなくなったという情報は入ってきませんでしたから、組合として、この問題への対応を考えるなどということはありませんでした。そもそも白船グランドホテルの中でも、入浴剤の投入を知っていたのは、社長を含めごく一部の人だけでしたし……」。

 白骨温泉の10軒強の旅館は、互いに親戚筋でありながら、しかし同時に競争相手でもあるという微妙な関係にある。その中で、自分の旅館の湯が白濁しなくなったという経営上不利な情報を漏らすようなことはなかったのだろう。

 それにしても、いずれの施設も申し合わせたように「入浴剤投入」という全く同一の対応策に出た点は注目に値する。「乳白色の湯」の呪縛は、そこまで強力だったということか。

不吉な予感 〜事件直前の“らしくない”風景

館内の目立たないところにかかっていた「5つ星旅館・ホテル」の看板

 時は流れ、白骨は“バブル”の中で2004年を迎えていた。

 ゆづるさん以下、現場を担うスタッフは、まさに全力投球で押し寄せる客に対応していた。白骨グランドホテルでは、料理も、仲居さんたちの接客も、館内到る所に見られる細かい心づかいも、第一級のものとして高い評価を得ていた。「プロが選ぶ観光・食事・土産物施設100選」の食事部門でランクインしたほか、「人気温泉旅館ホテル250選」にも既に4回選ばれていた(翌2005年、5回目の選出となり「5つ星旅館・ホテル」の称号を獲得)。

 しかしこの頃すでに、目に見えない疲労が組織全体に静かに広がっていたのではないだろうか? そう考えるのは、筆者が“事件”直前の2004年冬、最後に白骨温泉を訪れたとき、白船グランドホテルで、同館とは思えない“らしくない”風景をたびたび目にしたからである。

 夕闇迫る頃の雪見露天風呂というものは、日々のストレスや旅の疲れを癒してくれる素晴らしいものなのだが、そこで一部の心ない男性入浴客たちが、信じ難い狼藉を働いていた。

白骨グランドホテルの露天風呂。冬はあたり一面が雪に覆われる

 露天風呂内には見ず知らずの入浴客が何人も入っているというのに、ただれた足先を温泉の湧出口に突っ込み「こうすれば水虫は治るかな?」といって下品な笑い声を張り上げる客もいれば、隣の女性用露天風呂をのぞこうと必死にもがき、興奮して大声を張り上げる客もいた。

 さらに夕食の時間には、マイカーで来ていた中年カップルが、突如キレて、担当の仲居さんを怒鳴りつけているのも見かけた。「こんな冷めた料理が食えるか、ちゃんと熱い物を出せ!」とわめいているようだった。私はその時、すぐそばで同じものをおいしくいただいていただけに「なんて傲慢(ごうまん)で、感じの悪い客だ……!」と、こっちまでテンションが下がってしまったほどだ。

 わずか2泊3日の間に、こうしたイラッと来るような瞬間が何度もあり、何ともいえない胸騒ぎというか、不吉な予感が私の心を暗くした(余談だが、その影響か私はすっかり風邪を引き込み、38度近い熱を出してしまった。「3日入れば3年風邪を引かない」と言われる白骨温泉なのに……)。

 「大事の前の小事」なのか、いつ果てるともなく続いた「白骨バブル」による疲労感が宿全体を包みこみ、いつしか停滞した空気を生んでいたのかもしれない。スタッフの全力投球の姿勢はそれまでと少しも変わることはなかったが、それでも館内を覆う空気の“何か”が違っていたのだろう。一部の心ない客は、そこに乗じたのではないか。それは言い換えると、大きな危機が迫っていることを告げる“最後のサイン”だったとも言える。しかし、それに気付く者はいなかったようだ。

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