インタビュー
» 2008年04月25日 20時30分 UPDATE

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」:“入浴剤投入”発覚から4年――白骨温泉・若女将が語る「事件の真相」(前編) (2/4)

[嶋田淑之,Business Media 誠]

文人たちに愛された北アルプスの名湯・白骨温泉

 白骨温泉は長野県松本市から、松本電鉄の電車と、1日2本しかないバスを乗り継いで2時間強。青緑色の独特の色合いが美しい梓川の、目もくらむような渓流をさかのぼってゆくと、北アルプス・乗鞍岳の山麓(標高1400メートルほど)にある。

yd_map.jpgyd_map1.jpg 長野県松本市から電車とバスを乗り継いで、約2時間で白骨温泉に到着する(Google Mapsより)

 途中バスは、映画『あゝ野麦峠』でその名を馳せた野麦峠や、全国的な人気観光地の上高地、スキー場やキャンプ場として知られる乗鞍高原などの近くを通り抜けてゆく。道沿いには「熊鍋」と書かれた看板を掲げたひなびた食堂も何軒かあり、山深く分け入ったことを実感させられる。白骨を抜け峠を越えれば、そこはもう岐阜県で、人気温泉地の奥飛騨温泉郷となる。

 白骨温泉一帯は、梓川のせせらぎ以外に音はなく、夜ともなれば星は降るように美しい。「温泉街」といえるほどのにぎわいは一切なく、宿のほかにはお土産屋などが2〜3軒あるのみ。歩いている人も滅多に見かけない。ニホンカモシカやニホンザルと出会うことも少なくない。付近には「竜神の滝」や「冠水渓」、特別天然記念物「噴湯丘」など見所もあるが、観光地と言えるほどの華はない。辺りに漂う硫黄臭だけが、わずかに、ここが温泉地であることを思い出させてくれる。宿の数も、わずかに10軒強であり、それらが傾斜のきつい山や谷に張り付いている。

yd_shirahone3.jpgyd_shirahone4.jpg 白船グランドホテルの近くにある特別天然記念物「噴湯丘」(左)と「竜神の滝」(右)

 この温泉、鎌倉時代には既に湧出(ゆうしゅつ)していたと伝えられ、戦国時代、武田信玄も傷病兵の湯治に使っていたと言われる。温泉宿として本格的に開かれたのは、江戸時代(元禄年間)、齋藤孫左衛門による。地理的に閉ざされた環境ゆえに、この温泉は今も齋藤姓が多く、地縁と血縁の結びついた独特の閉鎖性を形作っている。

 名称的には、「白骨」(しらほね)とも、「白船」(しらふね)とも呼ばれていたが、大正時代に中里介山の長編小説『大菩薩峠』の中で白骨温泉として紹介されて以降、この名称に落ち着いたという。

 中里介山に限らず、明治以降、河東碧梧桐(かわひがし・へきごとう)、若山牧水(わかやま・ぼくすい)、斎藤茂吉、与謝野晶子、三好達治など実に多くの文人たちによって愛されたことは注目される。文人ばかりではない。白骨(はっこつ)を連想させるこの名称は、人々に強烈なインパクトを与え続け、良くも悪くもこの温泉を突出した存在にする一因となり続けたのである。

 泉質は硫化水素泉であり、1981年に書かれた『乗鞍岳麓 湯の里白骨(白船)』(横山篤美)によれば、「湯は無色透明で微酸味を帯び、硫化水素の臭気を放つ。しかし槽中にあるものは、硫化水素の酸化によって粉状硫黄を沈殿するので白く濁っている」とある。

 要するに白骨温泉は、基本的に無色透明な硫化水素泉だが、湯船の湯は空気と接触することにより酸化し、白濁化する。その白濁化の度合いは、その時どきの気候や、湧出する源泉のコンディションに左右されるということになる。しかし、この白濁化こそが、世間に「白骨=乳白色の湯」という固定観念を育み、後に悲劇を生むことになるのである。

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