新たな店舗と新たなお客様を想う――吉野家(前編)小西賢明の「お客様を想え。」(2/3 ページ)

» 2008年04月14日 08時36分 公開
[小西賢明,GLOBIS.JP]

奇跡の出会いによって復活

 普通はここで、企業はオシマイである。実際、疲れ果てた社員たちは訪れた管財人に「いっそ潰してほしい」と言ったという。

 ところが、奇跡の出会いが起こる。訪れた管財人が、野心なき実直な人物であったのである。

 管財人の増岡章三弁護士という、吉野家の歴史で忘れられない名前。吉野家で食事などしたことのない(実際、当初「よしのけ」と間違えて呼んでいたという)その弁護士は、素朴に実直に粘り強く、社員に語りかけていく。「何故できない?」「何がおかしい?」「どうすべき?」……比較的体育会的な文化の中で、猪突猛進に仕事を進めきた社員は、ここで「腹に落ちるまで考え行動する」ことを知る。そして。その過程で、未来を感じていく。俺達は、まだやれるのではないか。

 再建は顧客に・社員に・取引先に・世の中にメッセージを出すことからスタートした。その名も「どっこい、吉野家は生きている」キャンペーン。期間限定で値引きを行いつつ、劣化した商品と店舗サービスを一から見直し、一致団結して取り組んだこの全国セールが「俺達はまだやれる」を現場が本気で信じる起爆剤になっていった。

 その後も、本気で真面目で当たり前の努力を徹底。肉の品質を戻す。タレの品質を戻す。一部赤字店舗は閉鎖しつつ、拡大の可能性のあるエリアへは着実に出店・展開。人材教育もあらためて身を引き締めて……吉野家、奇跡の復活がここから始まる。

 この時代の吉野家の激闘は、その後何冊もの書籍に著されている。その中心人物は、現社長の安部修仁氏である。安部氏は、プロのミュージシャンを目指しながら吉野家でバイトする学生だった。豪気な人柄、築地店で作った、1000人の常連の顔を見ただけでその人の望む商品を瞬時に出す(「ツユダク」「トロヌキ」「ネギダク」。様々な消費者の好みがあるのが吉野家牛丼。これを瞬時に出す)という伝説。安部氏はやがて正社員になるとこの若い会社で一気に出世し、 30歳を前に九州地区本部長になる。まさに吉野家次代の若手リーダーの象徴だった。 

 この安部氏と、(牛丼ビジネスを知らずとも)実直かつ辛抱強く物事を考える弁護士、増岡氏の出会いは、奇跡に近い。しかしそれにより、吉野家は生き残った。そして。また猛烈なスピードで、世の中に価値を出すことに邁進し続ける。真面目に誠実に、たゆまぬ努力を積み重ね、その後計画より早く全額を完済。日本の更正法の歴史でも、他に数例しかないと思われるほどの、巨大債権の早期完済を実現するのである。吉野家を愛する筆者は、この時の吉野家復活、そして今でもその存在が健在であることは、神様の贈り物とも思っている。

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