トラムが走る街とトラムが創る街松田雅央の時事日想

» 2008年04月08日 08時06分 公開
[松田雅央,Business Media 誠]

松田雅央(まつだまさひろ):ドイツ・カールスルーエ市在住ジャーナリスト。東京都立大学工学研究科大学院修了後、1995年渡独。ドイツ及びヨーロッパの環境活動やまちづくりをテーマに、執筆、講演、研究調査、視察コーディネートを行う。記事連載「EUレポート(日本経済研究所/月報)」、「環境・エネルギー先端レポート(ドイチェ・アセット・マネジメント株式会社/月次ニュースレター)」、著書に「環境先進国ドイツの今」、「ドイツ・人が主役のまちづくり」など。ドイツ・ジャーナリスト協会(DJV)会員。公式サイト:「ドイツ環境情報のページ(http://www.umwelt.jp/)


ストラスブール(仏)の中心市街地を走るトラム

 石造りの古い街並みとモダンなトラム(路面電車)。この意外な取り合わせが不思議と調和するのは、伝統と機能美を融合させるヨーロッパの優れた工業デザインの力によるものだろう。フランス・アルザス地方の中心都市ストラスブールを走るトラムは、洗練されたデザインでことに有名だ。

 1980年代からヨーロッパ各地で導入が始まった同様の新世代トラム※は外観だけでなく、内装、乗り心地、スピード、輸送能力、環境性能、低騒音、バリアフリーの度合いのすべてにおいて旧世代の路面電車とは次元を異にする。

※新世代トラム:日本では一般にLRT(Light Rail Transit)と呼ばれる。

 実は多くの都市同様、ストラスブールもモータリゼーション全盛の時代にトラム網の廃止を経験している(1965年廃止)。しかし、そういった都市を待ち受けていたのは際限なく増加する車と都市環境の悪化だった。新たな街づくりのため、ストラスブールはついにトラム復活と中心市街地からの車の締め出しに踏み切った(1994年開業)。復活にあたっては、地元商店街から強い反対の声が上がったのも事実。車の乗り入れ規制による来客減少を心配してのことだが、結論から書けばその心配は杞憂に終っている。「車がなければ商売は成り立たない」という固定観念は打ち破られ、逆にトラムが魅力的な都市環境整備に有効であることが証明された。新世代トラムは、次世代都市交通の切り札として世界的な注目を集めている。

明るくゆったりしたトラムの車内席に座り広い窓から外を眺めると、視線がちょうど歩行者と一致する。トラムに乗りながら、まるで散歩しているような気分が味わえる
低床トラムと停留所。低床トラムと最新の停留所の組み合わせにより「無段差」が実現し、車椅子の利用も楽になった

トランジットモールと車の締め出し

 自明のことだが、ショッピングは徒歩でしかできない。また、街の雰囲気を楽しもうと思えば、なおさら歩くしかないだろう。中心市街地の活性化はさまざまな視点から論じられるが、基本は「歩きたくなる街・歩きやすい街・歩いて楽しい街」の創造にある。ヨーロッパの都市はそのことにいち早く気付き、公共交通の整備と車の締め出しをセットにした中心市街地整備に取り組み始めた。

ドイツ南西部の都市フライブルクのトランジットモール。きれいな水の流れる側溝が線路と歩行者スペースを微妙な距離で隔てている。夏になると、水路で水遊びする子供の姿まで見受けられる

 車を締め出し、歩行者と公共交通(トラムまたはバス)の専用になった通りは「トランジットモール」と呼ばれ、車の走る道路とは違った特徴を持っている。普通の道路は「車が主役で歩行者が脇役」なのに対し、トランジットモールでは交通機関と人の立場が逆転し、「歩行者が主役」でトラムがゆっくり街を走る。

トラムとSバーンが幹、バス路線が枝葉となって街を走る

 地方公共交通の能力を最大限に発揮させるための仕組みの1つが交通連盟だ。交通連盟とは域内を走るすべての路線バス・トラム・Sバーン(近距離都市鉄道)※を統括する公的機関のことで、筆者の住むカールスルーエ地域ではKVV(カールスルーエ交通連盟)がそれに当たる。管轄区域全体のダイヤ調整、チケット販売、マーケティングがその役割である。

カールスルーエ中央駅前の停留所。ここはトラム、Sバーン、路線バスが共用している
※Sバーン(エスバーン):隣接する都市を結んで走る鉄道。数キロの区間を走るトラムと、全国を網羅するドイツ鉄道の中間的な存在。日本の私鉄に相当する。

 交通連盟の機能により、地域の公共交通機関は無駄なく有機的に結びつく。例えば、トラムが停留所に到着すると目の前のバス停に路線バスが待っていて、すぐに発車するといったことが可能になる。トラムとSバーンが地方公共交通の“幹”を形作り、停留所や駅から延びるバス路線が“枝葉”として地域を細かくカバーするイメージだ。また、交通連盟がチケット販売を一元管理しているため、1枚の共通乗車券ですべての公共交通が利用できる。乗り換えのたびに乗車券を買い、その都度初乗り運賃を払う必要がないため非常に便利でリーズナブルだ。

 運賃収入は各事業者の乗降客数を基に配分され、赤字路線(例えば郊外のバス路線)には補助の意味で上乗せされる。事業者にとっては「マーケティングの手間がかからない」「路線の無駄な競合がない」「効率的な運行ダイヤが組める」「安定した運賃収入が保証される」などの利点がある。

赤字路線に対する考え方

 このようにヨーロッパの地方公共交通は便利で利用者も多いが、反面、運賃を低く設定しているため採算性には問題がある。とりわけ、田舎のバス路線は乗車率と採算性が極めて低い。KVVマーケティング部門のツェーダー氏によれば、ドイツ国内で最高の採算性を誇るKVVでさえ事業費に占める運賃収入は87%にとどまり、残り13%は電力収入の黒字分で補われている。今後はガソリン・軽油価格の高騰により、車から公共交通へ“鞍替え”する市民の増加が見込まれるが、それでも構造的な赤字は変わらない。

KVVマーケティング部門のアンドレアス・ツェーダー氏。KVVはカールスルーエ市を中心とする人口140万の都市圏をカバーし、年間の乗降客数は延べ1億6千万を超える。赤ん坊から高齢者までおよそ120回利用している計算だ

 「公共交通も赤字は許されない」と考えれば、大幅な運賃値上げや不採算路線の切り捨てもやむを得ないが、それでは公共交通全体の乗客が減り、結局新たな不採算路線が生まれる悪循環に陥ってしまう。

 公共交通整備の対極には「公共交通はいらない。車(自家用車)さえ使えればいい」という意見もあるだろうが、これは交通弱者の切捨てを意味する。日本とヨーロッパの都市を見比べた経験から筆者は「そういった地域社会に健全な発展は望めない」と思う。

 無限の赤字には誰も耐えられないが、ある程度は赤字でも地方公共交通を存続させる覚悟がヨーロッパにはある。「地方公共交通の存続は採算性だけで判断されるべきではない」という、至極もっともな意見がまだ力を持っている。

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