インタビュー
» 2008年04月04日 19時25分 UPDATE

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」:赤坂サカスは花を咲かすか? ――街おこしのキーマンは「神社経営の変革者」(前編) (2/3)

[嶋田淑之,Business Media 誠]

100年ぶりに復活した江戸型山車が赤坂サカスへ巡行

 3月28日、小雨の降る肌寒い中、満開の桜をバックに、「江戸型山車」が赤坂の街を巡行した。2007年、恵川氏の並々ならぬ努力によって約100年ぶりに復活巡行を遂げた山車(だし)の今年最初のお勤めである。今回は赤坂氷川神社を出発し「赤坂サカス」を目指した。

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ay_egawa05.jpgay_egawa06.jpgay_egawa07.jpg 3月28日、赤坂氷川神社を出発して赤坂サカスを目指す江戸型山車の行列。この日は往路で、復路(赤坂サカス→赤坂氷川神社)は4月6日に巡行する

 ゴールの「赤坂サカス」の入口付近で待ち受ける。山車の一行が近づいて来る。赤坂氷川神社の巫女さんたち、町会の方々、地元の子供たち、赤坂の芸者衆……そして……おっ、山車の引き手の中に恵川氏がいた! 神主さんでありながら、はんてんの似合うことと言ったらもう……(笑) さすがはチャキチャキの江戸っ子だ! 

 こっちに気がついた恵川氏が満面に笑みを浮かべ会釈する。「いやぁ、今日は、どうも有り難うございました!」。その顔には、大任を果たした充実感があふれていた。

ay_egawa08.jpgay_egawa09.jpg ゴールの赤坂サカスに到着した赤坂氷川神社の山車(左)。はんてん姿の恵川氏。自らも先頭に立って山車を引いていた(右)

 恵川氏の指向する「赤坂の街おこし」はこうだ。約100年ぶりに復活させた江戸型山車を求心力にして、赤坂、さらには日本の「歴史や伝統」に対する意識を呼び覚まし、長い眠りに落ちていた“赤坂っ子”たちの自覚と誇りを取り戻す。それを通じ、地域のコミュニケーションを促進することで、赤坂の街を活性化する。赤坂全体が元気になれば、「赤坂サカス」も発展する。その結果、赤坂のコミュニティがさらに元気になるというWin-Winの関係が実現するのである。

赤坂の歴史を見守り続けた赤坂氷川神社

 赤坂氷川神社は、天暦5年(951年)に創立の起源を有し、江戸時代、近くの紀州藩邸で生まれた8代将軍徳川吉宗によって深く崇敬されたことで社運が上昇し、現在地に社殿が造営された。それ以来、赤坂氷川神社は、赤坂の氏神様として街の盛衰を見守り続けたと言ってよい。

 明治以降の赤坂は、皇室・華族・大富豪の豪邸街と、料亭街、そして帝国陸軍の駐屯地として発展する。とりわけ料亭街では、「酒は正宗、芸者は万竜」と謳われた「赤坂芸者」がその名を轟かせた。

 国会議事堂にもほど近く、赤坂の料亭街は日本の政治過程に深く関わってきたことでも知られる。

 またTBSの開局後は、花柳界に加えて芸能界との深いつながりが出来たことも注目される。何を隠そう赤坂氷川神社は、人気演歌歌手・氷川きよしさんの芸名の由来である。お笑い芸人として一世を風靡していたビートたけしさんがバイク事故で瀕死の重傷を負って入院した際に、きよしさんの母親がこの氷川神社にお参りしたことから、たけしさんが、氷川の名を彼につけたとも言われる。

ay_egawa10.gif Googleマップで見た赤坂。六本木、乃木坂、青山に隣接しており、政治の中枢・永田町にも近い

 しかし、そんな赤坂の街は1980年代後半のバブル経済以降、急速に変貌していた。地元で老舗和菓子店を経営する青野啓樹氏(37歳)は言う。「バブル期に、赤坂では多くの商店が商売を辞めてビルオーナーになってしまいました。家賃収入で安定が得られたかもしれませんが、街としてのバイタリティはなくなりましたね。そんなこともあってか、氏神様としての赤坂氷川神社と、氏子としての各町会・商店との関係はいつしか薄れ、赤坂としてのアイデンティティも失われていきました。その結果、各町会(全24町会)が、それぞれバラバラに自分たちの『通り』とか『商店街』とかの発展を考えるようになってしまったんです」

 「氏神=氏子」の関係性が解体に伴って、赤坂の“全体最適”を指向する人の数は減り、町会ごとの“部分最適指向”が幅を利かせるようになったということだ。

 そうした事態が進行する中、2002年、恵川義浩氏は産業界から赤坂氷川神社の神主に転身。赤坂の街の歴史に関わっていくことになる。後編で詳述するが、恵川氏は、過去に類例を見ない「神社の経営革新」を実現することで、事実上失われていた氏神と氏子の関係性を、現代の価値観に即して復活させることに成功。それによって、赤坂のアイデンティティを人々の心の中に取り戻しつつある。

 上記の青野氏も言う。「氏神様が盛り上がることで、私たちも『ああ応援したいなあ』って思うようになりました」

 多くの人々の想いを乗せた「江戸型山車」は約100年の眠りから覚め、2007年、赤坂の街を巡行した。そして2008年春、「赤坂サカス」のオープンに合わせ、巡行が行われたのである。

赤坂の歴史的“強み”を生かした街おこしを

 しかし、そこに至るまではいばらの道だった。

 2004年ごろから、恵川氏は赤坂氷川神社ならではの「Seeds(種)」を使い「赤坂の街おこし」が出来ないか思案に暮れていたという。

「他の自治体では、派手なイベントを作り出して街おこしを図っているようでしたが、そうした新しいものというのは、得てして一時的な流行に終わり、すぐに飽きられてしまうと思ったんです。やはり、『歴史的なもの』の方がシンボリックな存在になり得ると私は考えました」。

 そう思っていろいろ調べてみると、赤坂氷川神社には、江戸型の山車がかなり良好な保存状態で残されていることが分かった。

 「これだ!」恵川氏は直観した。

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