「私の人生は、ドラマそのものなんですよ」と笑う近澤氏。実は近澤氏自身も、上記エッセイのMR氏と同様の感動体験の持ち主である。だからこそ今のMRたちの意気消沈ぶりが残念でならない、と彼は話す。
実際、若き日の彼の人生は、まったく思い通りには動いていなかった。
高校受験で失敗し、不本意な学校で孤独な3年間を過ごした彼は、医師になることを夢見て猛勉強した。しかし医学部を受験するほどの学力はなく、東京農工大に進学。せめて最先端のバイオの分野で身を立てようとして受けた大学院は不合格。やむなく薬剤師の父親のつてを頼って受けた製薬メーカーでは「営業向きでない」と言われ不合格に。そこで方向転換してメーカーの研究職を受けたが、これも不合格。無気力にうろついていた時、偶然見つけたのが第一製薬(現在の第一三共)の案内だった。「どうせダメだろう」と思って受けた面接は散々の出来……ところがなぜか合格!
入社後しばらくして、彼は病院担当のMRとなる。医師たちから“鼻もかけられない”惨めな日々が続く中、次第に彼の気持ちはへこみ、卑屈になっていった。やがて彼の心に渦巻いたのは、医師たちを憎む気持ちだった。
「もともと医学部志望だったのに夢破れた、という過去があるからなおさらですよね。あのころはとても医師が憎かった。そんな医師たちが唯一、人格を認めて『先生!』と呼ぶ存在、それは税理士だったんですよ。それで私は、『自分が税理士になって医師たちを見返してやろう』と思いましてね。それで税理士試験の勉強を始めたのですが……でも、もともと何の興味もなく、『不純な動機』で始めた勉強だから、長続きするわけもなかったんです。結局、税理士への道は3カ月で挫折しました」(苦笑)
“医師憎し”の気持ちが強く、仕事が面白いとは思えなかった近澤氏は、なぜMRの仕事にやりがいを見いだすことができたのか? それは今のように「訪問規制」が実施されるより以前のことだった。
ある日、泥のように疲れた体を引きずり、近澤氏が病院内をうろついていると、ある医師が話しかけてきた。「珍しいこともあるもんだ!」と、期待もせずに近付いてみる。
「君のところに抗凝固剤があったよね」と医師。何でも他社の抗凝固剤を使っているが効き目がないとのこと。そこで近澤氏は、しどろもどろになりながらも自社製品の説明をしたところ、即採用になった。まさに棚ボタだ。お陰で営業成績も少しだけ上がった。「しめしめ!」しかし、本当の驚きはこのあと訪れる。
しばらく経ってその病院を訪問すると、例の医師はいきなりこう言った。「君、あの薬は怖い薬だぞ。早速投与したら鼻血が止まらないんだ」
「しまった、クレームだ!」――思わず体が硬直した……ところが。
「それで投薬をやめようとしたんだが、患者さんが言うんだ。『鼻血が止まらないのは我慢しますから、この薬は中止しないで下さい。今まで足が痛くて眠れなかったのに、この薬を使ってから夜ぐっすり眠れるようになったんです』ってね」
聞けば、このままだと足を切断しなければいけないレベルという。近澤氏はその言葉にハッとした。苦しい思いをしながら日々病気と闘っている患者たち、それを全力で治療している医師たち。
自分は一体今まで何をやっていたのか! 自分を相手にしない医師を憎み、売上欲しさに卑屈な態度でただペコペコしていたそれまでの自分を思った。この瞬間、近澤氏は生まれ変わった。自分の仕事が何のためにあるのか、その意味と目的が、霧が晴れるようにクリアになったからだ。「この先生と一緒に、どうしたら副作用を抑えられるか検討しよう」。彼の目の色が変わった。
やがて医師と近澤氏の努力は実を結び、その患者は副作用も収まり病院内を歩けるようにまでなった。
その朗報を聞いてから数日後。早速病院に行ってみると、医師がある患者と立ち話をしていた。近澤氏に気付くと笑顔で手招きをする。
何だろうと近づいてみると、医師は「あなたが退院できたのは、この人のお陰ですよ!」と言って患者さんに近澤氏を紹介するではないか。この人こそ、副作用を承知で「その薬を使ってほしい」と懇願した患者本人だったのだ。
深々とお礼をされて、近澤氏の目から、とめどなく涙があふれ出た。この患者さんが足を切断せずに済んだ喜び。自分が人の役に立った喜び。そのことで感謝される喜び。医療の中に参画して情熱を注ぎ込んだ結果得られた充実感。「人のために生きる」、それこそが自分の“夢”だったことに気がついた。
今までどうしてもつかめなかった自分の人生の「ミッション」(使命)に、近澤氏はついに出会えたのだ。これまで自分が医師たちから相手にされなかったのも、突き詰めればMRの仕事を自分の人生のミッションの中で位置づけていなかったために、それが仕事に対する姿勢、態度となって現われていたのだろう。それを医師たちに易々と見透かされていたから、対等に議論すべき相手として認めてもらえなかったのだ――近澤氏はそう思うに至ったのである。
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