インタビュー
» 2008年02月15日 23時55分 UPDATE

嶋田淑之の「この人に逢いたい!」:工事中の橋が崩落するという悲劇――新日鉄エンジニアリング・浅井信司氏(前編) (2/2)

[嶋田淑之,Business Media 誠]
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受難の日――父が倒れ、橋は崩落し……

ay_vietnam04.jpg 新日鉄エンジニアリングの浅井信司氏

 前置きが長くなったが、そろそろ今回の主役に登場してもらおう。カンボジアの「日本橋」を受注した本人であるとともに、崩落したベトナム・カントー橋を受注した本人でもある、新日鉄エンジニアリング株式会社で海洋橋りょう・ケーブル営業室長を務める浅井信司氏(48歳)である。

 「2007年9月26日……あの日は、私にとって一生忘れられない日です。朝出社して会議をしているとメモが回ってきました。そこには、私の父が脳溢血で倒れ、病院に搬送されて危険な状態だと書いてあったんです。それで取るものも取りあえず病院に向かおうとしたら、会社の同僚が私を呼び止め、『大変なことになったな!』と言うんですよ。てっきり父のことを言っているんだと思った私は思わず、『いやぁ、そうなんだよ!』と答えたんですが、どうも相手の様子がおかしい。そこで問い質してみたら『カントー橋が崩落して死傷者が多数出ているらしい』というではありませんか。父の脳溢血と、私が受注したカントー橋の崩落が同時に起きたわけで、あのときはさすがに気が動転しましたね……」

 崩落したのは、第2工区のスイス系国際企業が主に施工を担当した区間であり、実際には新日鉄エンジニアリングの担当区間からは離れていた。しかし何年間にもわたって自らの情熱を傾け、2008年末の開通を心待ちにしていた浅井氏にとって、「崩落」は耐え難い心痛だったはずだ。

 あれから4カ月。少しは落ち着いたのだろうか?

 「いやあ、とんでもない! カントー橋の崩落の件は、事故原因の究明を含めて、今なお関係者全員で懸命に取り組んでいます」

 高温多湿の厳しい気候条件の下、事故現場でまさに命がけで救出作業に当たってきた日本人技術者の中には、PTSD(心的外傷後ストレス障害)で苦しんでいる人々がいるとも聞く。苦しんでいる人々へのアフターケアも含め、関係者の真摯な取り組みは今後も当分続くことだろう。

 ちなみに、浅井氏のお父様は、辛うじて一命は取り留めた。

「鉄は国家なり」と言われた新日鉄の盛衰

 浅井氏の所属する新日鉄エンジニアリングは、新日鉄(新日本製鐵)の両輪だった「鉄鋼」部門と「エンジニアリング」部門のうち、「エンジニアリング」部門を完全子会社として独立させることで2006年7月に発足した会社である。

 戦後の復興期から高度成長期にかけての新日鉄は、「鉄は国家なり」と豪語するほどの日本産業界の代表企業であり、経団連会長も新日鉄のトップが選出された。

 しかし、そうした世界に冠たる大企業もやがて環境変化の荒波にさらされ、「構造不況業種」に指定されるほどの不振に陥る。「ついにはレイオフ(一時帰休)が実施されましてね。私なんて、平日はやることがないのでゴルフばっかりしてましたよ」と浅井氏は振り返る。さらに1990年代には、ポスコなど韓国新興企業の台頭などもあり、経営環境はいよいよ厳しさを増したかに見えた。

 鉄鋼部門に関して言えば、ミッタル・スチール(本社オランダ・ロッテルダム)、アルセロール(ルクセンブルク)、ポスコ(韓国・浦項)、宝山鋼鉄(中国・上海)、新日鉄などが世界の覇権を賭けてしのぎを削る状況が続いた。

 しかし、21世紀に入る頃から、そうした状況は一変する。「まず、インドの大富豪ラクシュミー・ミッタル率いるミッタル・スチールがアルセロールを買収することによって、世界市場がそれまでの激烈な競争状態から比較的安定した状態へとシフトしたんです。さらに中国での鉄需要が急増したため、世界的な鉄不足に陥った。その結果鉄鋼価格が急騰し、経営環境は一挙に好転しました」(浅井氏)

 新日鉄自身の世界戦略も良好で、アルセロールとの「技術開発ならびに流通に関するアライアンス」締結などが功を奏し、経営状態は絶好調へと転じたのである。

 そうした環境変化を受けて、2006年、新日鉄はエンジニアリング部門を分離独立(子会社化)。「新日鉄エンジニアリング」が誕生した。

日本のエンジニアリング業界はどうなっている?

 エンジニアリングと聞くと、我々部外者は、ともすれば、石油プラントのようなものばかりを連想しがちだ。しかし実際にはエンジニアリング会社はさまざまな建造物を造っている。

 例えば「製鉄プラント」「環境プラント(産廃、土壌・地下水浄化など)」「海外石油・天然ガス開発」「エネルギープラント(天然ガス、地熱、風力、バイオマスほか)」「国内海洋鋼構造物/沿岸開発・港湾施設」「パイプライン」「橋りょう・ケーブル」などだ。

 日本のエンジニアリング業界としては、専業3社といわれる日揮、千代田化工、東洋エンジニアリングのほかに、IHIや三菱重工、新日鉄エンジニアリングなどの会社が名を連ねている。

 浅井氏の担当は、この中の「橋りょう・ケーブル」であり、彼はその「海外営業」部門の責任者を務めている。分かりやすく言えば、アジアや旧ソ連邦内の発展途上国を主なターゲットにして、ODA(=政府開発援助)関連を中心に、橋の建設工事案件の営業を行う仕事だ。

 橋りょう業界の主要企業は以下の通りだ。

系列 会社名
造船系 IHI、三菱重工
鉄鋼系 JFE(NKKと川崎製鉄が合併)、新日鉄エンジニアリング(2007年4月、日鉄ブリッジ分社化)
専業系 横河ブリッジ、川田工業

 国内橋りょうは、「製品ライフサイクル曲線」の「衰退期」に当たり、国内公共工事の激減や、2006年の橋りょう談合事件などもあって縮小の一途を辿っており、今では、海外橋りょうが「橋りょう部門」の主力となっている。

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社内ベンチャーから、年商100億円を稼ぎ出す部門へ

 浅井氏はこの海外橋りょう部門を、新日鉄の「社内ベンチャー」としてゼロから立ち上げた。その後海外橋りょう部門は正式な部門として認められ、今は責任者として新日鉄エンジニアリングで年商100億円を叩き出している。

 「新日鉄本体が年商3兆円以上、新日鉄エンジニアリングでも年商3000億円ある中での100億円ですから小さなビジネスですよ」と浅井氏は謙遜するが、ただでさえ成功確率の低い社内ベンチャーを自らのリスクテイクでここまで育てた情熱と手腕は並大抵のものではない。「新日鉄が誇る社内ベンチャーの伝説的カリスマ」と呼んで彼を慕う人々がいることもうなずけよう。

 新日鉄のような伝統的大企業の中で、この浅井信司氏は、一体どのようにして「社内ベンチャーのカリスマ」と呼ばれるような存在になったのだろうか? その秘密は次週、明らかにしてゆきたいと思う。

嶋田淑之(しまだ ひでゆき)

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1956年福岡県生まれ、東京大学文学部卒。大手電機メーカー、経営コンサルティング会社勤務を経て、現在は自由が丘産能短大・講師、文筆家、戦略経営協会・理事・事務局長。企業の「経営革新」、ビジネスパーソンの「自己革新」を主要なテーマに、戦略経営の視点から、フジサンケイビジネスアイ、毎日コミュニケーションズなどに連載記事を執筆中。主要著書として、「Google なぜグーグルは創業6年で世界企業になったのか」「43の図表でわかる戦略経営」「ヤマハ発動機の経営革新」などがある。趣味は、クラシック音楽、美術、スキー、ハワイぶらぶら旅など。


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