水商売から学ぶ“癒しサービス”の価値向上法郷好文の“うふふ”マーケティング

» 2007年11月29日 12時06分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

 マーケティング・リサーチ、新規事業の企画・開発・運営、海外駐在を経て、1999年よりビジネスブレイン太田昭和のマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略、業務プロセス改革など多数のプロジェクトに参画。著書に「ナレッジ・ダイナミクス」(工業調査会)、「21世紀の医療経営」(薬事日報社)、「顧客視点の成長シナリオ」(ファーストプレス)など。現在、マーケティング・コンサルタントとしてコンサルティング本部に所属。中小企業診断士。ブログ→「マーケティング・ブレイン」


 この世の中の半分くらいの消費は、癒し・癒されのサイクルで動いているのではないだろうか。

 そう考えたきっかけは、同僚のKさんが新宿三丁目を知らないからだった。中華料理屋で食事をしたとき、Kさんに「新宿三丁目ってのはね、明治通りの向こう側で、ゴチャゴチャッとした三角州に飲み屋があって……」と説明した。だがKさん曰く「あたし、そこには行ったことがありません」。うん、お嬢さんが立ち入る場所ではないさ……三丁目はもちろん二丁目も。

癒しの職業は癒されたい職業でもある

 学生時代、池袋の“ランバン”というパブでボーイのアルバイトをしていたことがある。始めての水商売で、150席以上ある大きな店だった。仕事の内容は、注文を取りトレイで運搬するというもので、週3日から4日、夕方から夜のシフトで働いた。運営体は○○興業という名前のエンタメ会社。パチンコ店、クラブ、風俗……何でもありで手広く商売をしている会社だった。

 勤め出してまだ日が浅いある日のこと。閉店時間後、賄い(まかない)を食べて「お疲れさま!」と言うと、パブの店長が「飲みに行こう」と私を誘った。終業後だからすでに12時近かったと思う。翌日の大学の講義がちらりと頭を横切ったが、店長の人柄に興味もあったのでご一緒した。当時40代前半で、どこかパブ店長と相容れない雰囲気があったのだ。

 タクシーで着いた先は3坪ぐらいの呑み屋だった。新宿三丁目の三角州である。5人座れば満席の店で、分厚い眼鏡をかけたオヤジが1人でさばいていた。酒とつまみだけしか置いていない。これ飲んでみろ、と店長から勧められて口にしたのが、日本酒“浦霞”だった。ひとこと「旨い」と言うと、ほぉ、わかるかと店長は口元をほころばせた。酔いにまかせて店長とブンガクの話などをした覚えがある。パブの店長職には似合わない知的さゆえに、学生の私と話をしたかったのかも知れない。3坪のオヤジもまた、呑み屋というより活動家という風情があった。

 呑み屋には、呑み屋を癒す機能もあるというのが発見だった。

 その後、銀座八丁目の裏道にもその機能を発見した。ある理由からまとまったお金を稼がねばならなくなり、銀座のクラブ「ヴィーナス」でアルバイトをした。大学の講義が終わってから店に入り、女の子たち(ホステス)が来る前にボーイ衣装に着替えて食事に行く。ボーイは激務である。激務に備えて腹ごしらえをする。

 腹ごしらえは、ときに天丼だった。猫道のような路地裏にある、八丁目で働く男女がよく知る天丼屋だ。カウンター席に座る。何も言わない。天丼が出される。箸をつける。ホステスもバーテンもボーイも黙々と食べる。コースを食べるような客筋ではないから、言葉は要らない。天丼だけの天丼屋には、これからきつい仕事が待っているという張りつめた緊張感をほぐす沈黙の癒しがあった。銀座の路地裏にも癒しと癒されがあった。

銀座の路地裏には……

癒し・癒されのサイクルとは

 新宿と銀座における体験を教訓にすると、癒されたい需要は癒し業というサービス業でまかなわれ、癒し業に従事する人も、癒されたいという需要を発生させることがわかる。

癒し・癒されサイクル

 エステティシャンはエステ施術で疲れた身体をマッサージされて癒し、デパートガールはチェーンスモークに癒しを見出す。“風が吹けば桶屋が儲かる”まで読みきれなくとも、癒し・癒されにはチェーンまたはサイクルがあるのを心におくべきだ。「癒して(手)」転じて「癒されて(手)」が連なる。その合間にあるのが“消費”だ。

女占い師の豪遊で、縮小スパイラルから脱却

 だが癒し手(ホステス)は癒され手(高額所得者)から高料金をいただきながら、天丼という低料金で癒されてしまい、天丼屋はますます低料金の牛丼屋で癒されると仮定すると、癒し・癒されサイクルは縮小スパイラルになり、経済活動として旨みがない。だが心配はいらない。高名な女占い師は占いでがっぽり儲けたお金をホストに湯水のように注ぎ込むというでしょう。大口のお客さまがいて、縮小サイクルを断ち切る機能を果たす。こうしたイレギュラーさこそ経済の本質である。

癒し業は癒されパターンで整理できる

 癒し・癒されのサイクルに、なぜこうしたイレギュラーが発生するのだろうか。

 その答えは、癒されに“パターン”があるからだ。癒しを求める深さの違い、癒し業への期待値の差といってもいい。水商売ママなどユニークな人間観察に基づく研究をしている、江戸川大学社会学部の平山満紀准教授の「癒しと意味づけられる現象」(「福祉社会の家族と共同意識―21世紀の市民社会と共同性:実践への指針」に収録)を図解した。

癒しと意味づけられる4つの現象

 平山准教授によれば、癒されたいパターンには4つあり、「自分を省みる」内向き指向と、「自分をさらけだす」外向き指向で整理される。(1)グッズ・サービス消費はヒーリング音楽、アロマ、ゲーム、マッサージなど、自分を省みず、自分をさらけ出さない、帰宅途中でお手軽にできる癒しである。いわゆる癒しグッズ・サービスはここに入る。

 

 (2)語りのない自己表現は、踊り、絵画、書道、楽器演奏など身体で自分を表現してストレスを解消するパターンである。心理的には反省を深くせず、汗を流すことでモヤモヤを吹っ切って爽快になる。

 (3)物語消費とは映画鑑賞や読書、観劇などを通じて、自分を物語の主人公に擬すパターンである。物語に自己を投影するだけで自分をさらけださないとなると、夢ばかり追う毒性もある。

 最後の(4)自己語りは、カウンセリング、セラピー、日記など、自分をさらけだし自分を省みる行動である。気のおけない人に自分をさらけだすとすっきりする。癒しを越えたものを期待する消費である。

癒しサービスはうつろいやすく……

 厄介なのは、時と場合と相方により、同じサービスでも4パターンどれにもあてはまることだ。癒しサービスの代表格、旅行を例に取ろう。

 仲の良い知人同士や姉妹で旅行して、恋バナに花を咲かせてスッキリする。これは(4)。センチメンタル・ジャーニーは(3)だろう。気のおけない友人2人で出かけたが、2人はA型とO型のセットだった。血液型のせいではないだろうが、行く先々で几帳面な性格と大雑把な性格が噛みあわず、気まずい思いをして帰途に付く。これは(2)になる。よそよそしいだけの社員旅行は(1)である。

 お客さまが(1)〜(4)のどれを期待するかで支払い許容額も変化し、顧客満足度が変化する。だからサービス業は科学できないと言われる。どうすれば(1)から脱却し、単価アップができるのだろうか。

なぜ“ママさん”には話せて、“ママ”には話せない?

 それは「サービスの“価値観”を変え、“相場感”を打破する」ことに尽きる。価値観を変えるとは、(1)から(2)、(3)そして(4)へいかに移動させるかのシナリオを持つこと、相場感を打破するとは既存の料金感覚をひっくり返すことである。サービス業によって解決策は異なるが、呑み屋は分かりやすいヒントを与えてくれる。

 「なぜママさんには話せて、ママには話せないのか?」

 バイトをしていた銀座のクラブにもママさんがいた。美人で頭がきれた。「話やすい包容力」がありながら、同時に「とても打算的」だった。シャイなお客さん(語りのない自己表現)には、飛びっ切り親身な女の子をつける。その他の(ほとんどの)下心ありの男性には、ママさんやホステスとの「物語消費」(オレの女になってくれという「自己語り」)を夢見させながら、決して深入りさせないのだ。“深入り”すれば相場はひと桁上がるが、つねに「商売と関係」を天秤にかけている。

銀座・並木通り

 “家のママ”に、ここまでのサービス業精神を求めることはできない。だから癒しにならない……かどうかは、それぞれのご家庭の問題ということで。

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