大家は言った「お前を訴えてやる」――米国の不条理にがくぜんとするロサンゼルスMBA留学日記

» 2007年11月27日 00時00分 公開
[新崎幸夫,Business Media 誠]

著者プロフィール:新崎幸夫

南カリフォルニア大学のMBA(ビジネススクール)在学中。映像関連の新興Webメディアに興味をもち、映画産業の本場・ロサンゼルスでメディアビジネスを学ぶ。専門分野はモバイル・ブロードバンドだが、著作権や通信行政など複数のテーマを幅広く取材する。


 携帯電話の向こうで、アパートの大家がすごんでいる。

 「いいか、オレは今日弁護士に依頼を出した。お前は通常の家賃に加えて、弁護士費用も払わなければならない。これを避ける方法はただ1つ――×××ドルを今日中に、耳をそろえて支払うことだ。議論の余地はない。急がないともうすぐ銀行が閉まるぞ。じゃあな」

 それまで白熱した議論を展開していた筆者も、さすがにこのセリフには慌てた。すぐさま家を飛び出し、銀行でしかるべきお金を下ろした。

 ――それが過剰に請求された、間違った金額であると知りながら……。

 「ロサンゼルスMBA留学日記」、今回は筆者が出くわした米国社会の不条理と、そこから派生した考察をお届けする。

誤請求を、正しいと強硬に主張する米国人

 筆者は現在、ロサンゼルスのビジネススクールに通っている。住んでいるのは、ダウンタウン(中心街)にほど近いアパートの一室だ。

 アパートの契約は、学生向けの小規模な事業者と交わした。契約の段階で、いい加減な事業者らしき“兆候”はあったが、こちらも家賃にそれほどお金はかけられない。多少質が悪くても、安い部屋を契約することにした。

 しかし問題が起きたのは、2年目の夏だった。過去1年間の支払い履歴を確認すると、不明な金額である92ドルが「未払い」扱いになっている。これは契約当初から、ずっと未払いだという。なぜかこのタイミングで、通常の家賃プラス92ドルを支払うことを要求された。なぜ92ドルなのか、筆者には皆目見当がつかない。アパートの管理人に聞いて、事実関係を確認しようとした。

 アパートの管理人は非常に愛想がいいが、ビジネス面での対応は心もとない。「問い合わせてくれないか」と聞くと「OK! 今週末にオフィスに確認するよ」と答え、その後まったく連絡がない。再度聞いてみると「ああ、ちょっと忙しかったんだ、今度こそ聞いておくよ」。しかしいくら待っても、返事はなしのつぶて。

 数週間が経ち、らちがあかないのでオフィスに直接メールを送ってみた。しかし返事はなし。こちらもいい加減腹が立ってきたので、通常の家賃だけを支払うことにした。意味不明な92ドルを、言われるままに支払うことはできない。だがこれが後に、大きな波紋を呼ぶことになる。

「間違っていました。ゴメンナサイ」という文言はない

 相変わらず動きがないので、今度はオフィスに電話をかけてみた。すると支配人らしき人間が電話に出てきて、急転直下の対応を見せる。

 「今日こちらは、弁護士に依頼をした。お前を家賃滞納で訴えるためだ。弁護士費用の500ドルを払いたくなければ、通常の家賃+92ドル、耳をそろえて払え。それも今日中にだ」。これが冒頭の場面である。

 「ちょっと待てふざけるな」と反論したものの、“訴えてやる”と言われては穏やかでない。おかしいと感じつつも、請求された額を支払った。さらに家賃が滞納したため、Late fee(延滞料)として50ドルも請求された。こちらもグッと我慢して支払う。

 そこからが戦いの始まりである。一時撤退ということで92ドルは払ったが、これは取り戻さなくてはならない。まず、事実関係を確かめる必要がある。履歴の詳細を入手し、契約書を引っ張り出してきてつき合わせてみるに、どうやら契約当初に誤請求があったことが明らかになった。

 アパートの契約は、いろいろディスカウントが付いていて、最初の月は217ドルの支払い契約になっている。ところが、その月の請求は「月々の請求金額−217ドル」となっていた。つまり、請求する額とディスカウントする額を間違えている。

 さて、これを把握した筆者はオフィスに電話して状況を説明したり、管理人に手紙を書いて訴えたりした。しかしいっこうにらちがあかない。文句があるなら「直接出向いて」「しかるべき担当者に」「直談判」しないと無視される。

 そんなわけで、授業の合間をぬってオフィスに出かけた。最初、若いマネージャーのような人間が出てきたが、彼は物分かりがよく「確かにおかしいね、どうしてだろう」と話していた。ところが女性が現れ、「何があったの?」とマネージャーに聞く。どうやらこの女性のほうが偉いらしい。

 改めて状況を女性に説明すると、彼女は請求書を眺め「いや、これで合っているわよ」と言う。

 「ちょっと待て、それはおかしい。217ドルを請求されないといけないのに、217ドルがディスカウントされているじゃないか」

 「この217ドルは、あなたに有利になったということなの。これで合っているわ」

 「いや、そうじゃなくて、ディスカウント額と請求額を取り違えている」

 「うーん……(しばらく考え込んで)どう説明するのが分かりやすいかしら……」。

 まるで話にならない。「間違っているのはオマエだ」と必死にアピールするが、彼女は頑として受け付けない。ついに筆者は「ふざけるな、これだからアメリカは嫌いなんだ」と口走ってしまった。さすがに彼らは嫌そうな顔をしていた。

 結局、彼女は「上司に相談してみるわ、その後回答するから」とコメント。ここで「ハイそうですか」と引き下がってはいけない。「担当者に直接説明をさせてくれ。でないと最終的に無視されて、ウヤムヤにされるかもしれない」と畳みかける。結局、1週間以内に返事をすること、こちらが書いた説明の手紙を渡すこと、などを確認した。ここまで徹底しないと、安心できないのだ。

 数日後、1通のメールが届く。「Confirmed. Tenant will have $92.00 credit towards Dec. Rent.」(状況を確認した。住人は12月に92ドルを振り込まれる)。幕切れはあっけないものだ。直接のメールはこの一文だけで、「間違っていましたゴメンナサイ」という文言はなかった。ちなみに50ドルのLate feeも返せといいたいところだが(通常の家賃は期限どおりに払っており、延滞はない)、面倒なので我慢することにした。なんとも、骨が折れる交渉だった。

能力の格差社会?

 「特別変な業者につかまり、苦労しただけの話じゃないの?」と思われる方もいるだろう。しかし米国では、同様のひどい話は枚挙にいとまがない。クレジットカードをATMの機械に入れたら出てこなくなって、結局返してくれなかったとか、銀行の統合に伴ってデータベースに不具合が起こり、600ドル以上の間違った金額を引き落とされて戻ってこなかったとか、あちこちでひどい話を聞く。

 筆者も、ある日突然クレジットカードが使えなくなって、調べてみたらシステム不具合が原因だったという事態に遭遇したことがある。米国生活は楽しいことも多いが、こと生活面では苦労させられることがある。

 日本は格差社会になったと言われるが、米国でははるかに給与水準の格差が激しい。しかし個人的な感想では、給与もさることながら知的レベルとか、ビジネス面での能力の格差もすさまじい。社会の枠組みとしてきちんとしたシステムを作っても、運用する人間の能力が低ければ、そのシステムが上手く回らいことは往々にして起こりうる。そして、社会のあちこちでミスが多発する。

 その一方、一部のエリートや豪腕の外資系経営者が、米国の大企業を発展させている。ウォールストリートの強力な金融プレーヤーたちと、M&Aや高度なファイナンス手法に裏打ちされた米系企業が世界を席巻する。さまざまな問題を抱えた社会に見えるのに、全体的には発展を遂げていることが興味深い。

なぜニッポンは発展できないのだろう

 米国と比較すると日本は「ミスが少ない」社会だと思う。電車は時刻どおりに来るし、サービス業に従事する人間の対応も優れている。先日、経営戦略コンサルタントと話をする機会があったが、彼は「世界的に見て日本は、一般従業員の能力が高い」と強調していた。

 「なぜ日本から勢いが失われたのか」と彼に聞くと、「経営トップが弱い」とのこと。意思決定能力(決断力)やリーダーシップ(実行力)が劣っているのではないかという。要するに“衆愚政治に陥っている”ということだろうか。

 それにしても、こうして日常的に米国の不条理に直面していると、日本の“良さ”をしみじみ思い出す。それなのにどうして日本は米国に負けるのだろうか? 経営さえ改善すれば直る問題なのだろうか? 筆者は特に愛国心が強いほうではないのだが、本稿のような出来事に遭遇すると、「日本大好き、ガンバレ日本」とたまには思ったりする。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.