自分の帽子を探して――個人を結ぶ地球サイズのビジネスの可能性郷好文の“うふふ”マーケティング:

» 2007年11月22日 21時56分 公開
[郷好文,Business Media 誠]

著者プロフィール:郷 好文

 マーケティング・リサーチ、新規事業の企画・開発・運営、海外駐在を経て、1999年よりビジネスブレイン太田昭和のマネジメント・コンサルタントとして、事業戦略・マーケティング戦略、業務プロセス改革など多数のプロジェクトに参画。著書に「ナレッジ・ダイナミクス」(工業調査会)、「21世紀の医療経営」(薬事日報社)、「顧客視点の成長シナリオ」(ファーストプレス)など。現在、マーケティング・コンサルタントとしてコンサルティング本部に所属。中小企業診断士。ブログ→「マーケティング・ブレイン」


 頭は丸い――“地球は丸い”ということを知った中世の人々ほどの驚天動地ではないにせよ、帽子の型紙で曲線を引いた布地を切り、縫って改めて知ったのはそのことだった。

 ある土曜日、私と同僚のCherryさんは、「帽子体験レッスン」のため、帽子デザイナーの山之井美穂さんのアトリエ兼自宅を訪ねた。ミシンの扱いはまるで初心者である私の帽子縫いが、コロンブスの地球一周航路のようにいかにジグザグだったかは、後で正直に述べる。

 ゆったりと流れる多摩川を真正面にする部屋には、一品ものの素敵な帽子がディスプレイされている。一度に生徒が最大4人学べる机を、私とCherryさんはぜいたくにも2人で占拠した。見回せばプロ用のミシン4台、裁断鋏5丁、割台(帽子作りに必須の道具)2台、特製蒸気ポッド1台、帽子の型が多数という部屋である。

山之井さんのWebサイト「Hat Love」

 帽子デザイナーの山之井さんは、注文品の帽子を1人で一貫して製作する一方で、初級から上級の生徒に帽子作りを教え、さらに体験レッスンまでこなす帽子のプロである。笑顔が素敵で、快活に笑う山之井さんの魅力にはまらない人はいない。アンティーク調のタンノイのスピーカーから流れるジャズの音色に心がほぐされるのを感じながら、いざ帽子作り!

初めての帽子作り、そして初めてのミシンに挑戦

 まずは布地の裁断からだ。用意された布に型紙を当て、線を引く。例外はパーツのつなぎくらいで、頭だから至るところが曲線である。線を引きにくい。Cherryさんは、「私、こちらの方がやりやすいです」と言いながらルレットという道具を使ってコリコリと線を引く。私は地道にペンシルで線を引いた。第1コーナーはCherryさんリード。

型紙に合わせて布に線を引く(左)。裁断した布地はこんな形(右)

 「僕をおいてけぼりにしないでね」と話しかけると、Cherryさんは口では「ハイ」と言いながらも手はチョキチョキと快調である。「案外冷たいね」と私はブツブツ言いながら、柄にもなく慎重な手つきで断ちを入れる。布パーツが揃ったらアイロン掛けだ。ピシッとさせるのと同時に、ツバ部分に芯地を当て、アイロンの蒸気でジュワッと接着する。デロンギ製の重いアイロンだ。

割台(わりだい)に裏地を載せ、アイロンをかけながら縫いしろを開く作業

 「日本製で良いアイロンがなくて」という山之井さんは、重量やプレス部の素材からデロンギが目下お気に入りだという。スチームがジュワ〜ッと大量に放出される、クリーニング屋さんで使う業務用タイプが欲しいという。そういえば昔はアイロンに木炭を入れていたそうですね……などとおしゃべりしながら、丸い割台で裏の縫いしろを開く作業に取りかかる。これにはコツが要る。

 さていよいよ縫製作業。中学高校時代、裁縫が好きだったというCherryさんと違い、私はミシン初挑戦である。まずはハギレ布で「郷さん、縫ってみましょう。始めと終わりに返し縫いがあるのを意識して、ゆっくりでいいですよ〜」と山之井さんに言われ、フットスイッチでコト、コト、コト……ゴトゴトゴト! と不規則な処女航海に繰り出した。おっと、航路がそれる! それでも5本も縫うと割とまっすぐに縫うコツがつかめた。

 「案外良いじゃないですか」と先生におだてられて、いよいよ本縫いスタート。パーツ同士を縫いこむのは割とスムーズだが、本体部とツバの両方が丸い縫い合わせではスピードが落ちる。かくも「頭は丸い」のである。

山之井 マチ針をいかに正確な場所に打つかがポイントなんです。

 なるほど(と言いながらうなずく)

山之井 マチ針、私がやりましょうか?

 (先生の言葉に間髪をいれずにまたうなずく)

山之井 ステッチもサービスしておきますね〜。

 ハイ、お願いします!

先生の手元はさすが危なげがない

自分探しの旅は『仕事の教室』がきっかけ

 Cherryさんと帽子体験レッスンに挑戦することになったのは、私が帽子に惹かれ始めた頃、山之井さんのWebサイトの名称でもある“Hat Love”な活躍を知って、個人ブログ「マーケティング・ブレイン」に書いたのがきっかけである。山之井さんの専門は女性モノなのだが「女もすなる帽子というものを……」と無理にお願いした。なぜ帽子作りに惹かれたのか? 山之井さんに聞いてみた。

 「本屋で『仕事の教室』を手にしたら、そこに帽子作りの記事があったんです」

 意外なほど単純なきっかけだが、山之井さんは1990年代の半ば、9時〜5時のメーカー営業事務には飽き足らず、持って生まれた絵心を活かせる道をリクルートの雑誌で発見した。さっそく某中堅の帽子メーカーに“弟子入り”し、終業後5時30分から8時まで週3回、レッスン代を支払って帽子作りを始めた。結婚を期にメーカーを退職、帽子作り100%にシフトし、数年かけて商社のバイヤーに帽子を買い付けてもらうまでになった。

なぜ人は帽子が好きなのだろうか?

 世の中には、少なからぬ数の帽子好きがいる。帽子好きはなぜ、帽子が好きなのだろうか?ミクシィにある帽子屋のコミュニティを覗いてみると「帽子からファッションを考える」「帽子は身体の一部」「帽子好きが嵩じて仕事に……」などなど、さまざまな愛あるコメントが読める。

 自分を変える道具には色々ある。服や化粧はもちろん、ヘアスタイルも眼鏡もそうだし、ネイルアートもそうだ。だが帽子はてっぺんから自分を変えることができる道具である。半顔にしたり、斜め顔にしたり。ちょこんと載せることで、自分をてっぺんから変えることができる。自分の何を変えたいのだろうか?

 思うに、自分の顔の表情を変えたいのである。例えば、幸せな顔やひたむきな顔に。また、良い仕事を望み、良い仕事をする顔に、自分を変えたい。山之井さんが自分の人生を帽子で変えたように、変わりたい人、変化に飽き足らない貪欲な人が、帽子好きになるのではないだろうか。

“1人では限界があるんです”

 「職業なので今では単純に(帽子を)楽しめないのですが……」と話す山之井さんに、やがて2度目の転機がやってくる。それは、“会社の大量生産品のために帽子作りを始めたわけではない。帽子を社会に広めたいから帽子作りをしているんだ”そう気づいたときだった。

 

代表作の1つ「ヌードの帽子」

 30歳の頃、帽子メーカーと共同で帽子教室を開いた。生徒を増やすために『ケイコとマナブ』に広告も打った。費用は会社と折半。徐々に生徒は増えていき、帽子の素晴らしさを伝えるために雑誌などのメディアにも積極的に出た。自宅に拠点を移してアトリエを開き、生徒に教える傍ら、年2回の春夏・秋冬コレクション、個展、収入源である注文制作、そして私達が参加したような体験教室までこなし、帽子ファン作りに務めている。

 「お仕事で悩みは、ありますか?」

 山之井さんは少し遠くを見つめた。「はい。1人では……限界があるんです」

 マーケティングっぽく言えば、仕入れ(生地は惚れたら衝動買いだそうだ)、開発(型紙無しで縫うこともしばしば)、設計、製造、販促、販売まですべて1人でこなしている。だからつらいときもあれば、やり尽くせないときもある。それが悩みだという。山之井さんの帽子に触れながら考えた。

地球フラット時代の2つの生きかた

 バブル経済以降、帽子業界は高価な品からカジュアル品へと需要が移り、単価も下落した。帽子専業の国内企業は淘汰され、製造はBRICsなど国外へ移った。帽子業界に限らず、中国を筆頭とするBRICs市場の拡大で経済活動が国境を越え、消費経済も地球規模になってきた。コロンブスは地球が丸いことを航海で証明したが、21世紀は経済活動を通じて、地球がフラットに、大規模になった時代である。もはや企業は買収されないほど大きいか、買収されるに値しないほど小さいか、どちらかでなければ生き残れない。

 だが、帽子好きは残った。山之井さんのような“1人帽子屋”は全国に数十名、帽子の木型を作る職人は都内に2名という零細業界である。単価は安いがニット帽の流行は光明といえるし、個人・小資本のビジネスを助けるWebでは、帽子デザイナーのコミュニティも増えて協働の機会もでてきた。国境や肌の色の境界を越えてファンの輪、支援の輪を広げることもできる。

 フラットで巨大な地球ビジネスだけでなく、個人を結ぶ地球サイズのビジネスも可能なのだ――多摩川の流れを背に、ようやく丸くなってきた私の帽子に触れながら、そんなことを思った。

帽子の下にひたむきな顔を作ろう

 選択に迷ったときは自分の表情が良くなる方に進みたい。帽子のひさしの下に、ひたむきな顔を作ろう。山之井さんの帽子作りからそれを学んだ。

11月21日まで山之井さんの個展が開かれていた東京・蒲田のカフェ「まやんち」にて。筆者がかぶっているのは自作の帽子

 「よし僕も、もっと変わらなきゃ!」とつぶやく私に、山之井さんが次々と新作を勧めてくれる。あれも似合う、これも似合うとおだてられ、最後には真っピンク(!)のハンチングを差し出された。「郷さんならこれもお似合いですよ」。ああ、お気持ちはうれしいけれど、私は‘そっちの道’に変わりたいわけではないのだ。

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