任天堂へ愛を込めて――一個人投資家からの提言 山口揚平の時事日想

» 2007年09月18日 04時07分 公開
[山口揚平,Business Media 誠]

 個人投資家に大人気の任天堂。昨今のWii, ニンテンドーDSのヒットが記憶に新しい読者も多いだろう。ゲーム機のヒットによって2006年、2007年は株価も上昇基調だが、“ヒット=買い”という単純な構図は果たして妥当なのか?ちなみにシェアーズの提供する「バリューマトリクス」の評価では、現在の任天堂の株価は、「割高」と判断されている。

バリューマトリクスの評価では、任天堂の株価は割高と判断される

 いうまでもなく任天堂はゲーム機の一流メーカーだ。しかしここではそれとはまったく違う視点で、任天堂という会社を捉えていこう。最初に着目したいのは、事業でなく、資産である。

任天堂のバランスシート(クリックすると全体を表示)

 任天堂のバランスシートで、まず、気になるのが現金の量である。2007年3月時点での現預金等は、なんと1兆円。実に総資産の3分の2を占めている。

 通常、企業は今後の事業活動を継続させるために、ある程度の現金を保有しているものだ。しかし任天堂が持つ現金は、設備投資や運転資金としての金額をはるかに超えているように思える。

 磐石な財務基盤だといえばその通りだが、問題もある。これらの現金は、実は「コスト」だということだ。これは、どういうことだろうか?

ザ・無借金経営の任天堂

株主は投資をしている企業に対し、8%くらいのリターンを求めるのが平均的といえる

 任天堂の自己資本比率は70%と高く、有利子負債はゼロである。株主から期待されている平均的なリターン(利回り)を8%とすると、任天堂の調達には金利8%のコストがかかっていることになる(右図)。

 一方で、任天堂の事業の収益率(税引後投下資本営業利益率)の方は8%程度で推移している。直近期こそWiiのヒットで12%前後まで上がったものの、2003年から2006年にかけては任天堂は8%のコストで調達をし、その資金を使って8%程度しか稼ぐことができていなかったのである。そうすると差分の儲けはゼロということになる。事業がいくら儲かっても資本のコストが高ければ企業が価値を創造したことにはならない。

 よい企業とは、少ない資本でたくさんの利益を上げる企業に決まっている。任天堂の場合、利益は極めて大きいが、ありあまる現金を寝かせてしまっているために、分母となる資本が大きく、したがって資本効率が低くなってしまうのだ。実は、任天堂は資金の多くを定期預金に預けている状態である。これでは株主の期待利回り8%には到底届かず、資本効率を低下させるばかりだ。

 だがこれは、財務的見地からの机上論と揶揄されるだろう。業界に詳しい人ならきっとこういうはずだ。「ゲーム業界はあくまで“水物”であり、ヒットが出るかどうかはわからない。だからそのバッファとして現金を内部に貯めておく必要があるのだ」と。おそらく、それは正しい。

ゲーム業界は「水モノ」なのか?

ゲーム業界の動きを予測するのは難しい。ゲーム産業はまた、当たりはずれも大きい(クリックすると全体を表示)

 ある証券会社は2000年に、「今後ゲーム業界の市場規模は右肩上がり」と予想した。だが実際にはゲーム業界の市場規模は、2004年に底をうち、2005年、2006年と回復してきている。

 また、多くのアナリストが2006年時点では「PS3とWiiではPS3に軍配が上がる」としていた。しかしふたを開けてみれば、WiiがPS3の3倍の売上(国内)を記録している。

 では任天堂自身の予想と実際とはどうだったのだろうか?

 2006年5月に発表された任天堂の会社計画によると、2007年3月期の予想売上高は600億円だが実際は960億円。また、予想経常利益は110億円だが、実際は260億万円と大きく外れている。ちなみに、インフラビジネスや食品ビジネスの場合、会社予想の誤差は5%程度。任天堂自身でも予想がいかに難しいか分かる。

 これらから分かるのは、ゲーム産業は、関係者や専門家、あるいは会社自身にとっても予測の難しい“水モノ”の業界だということだ。

 エンターテインメント業界の予測可能性の低さは、任天堂に現金の保有率を高めるという大きな影響を与えることは間違いない。しかし任天堂の過去10年の売上高、利益、利益率の変化を見てみると、不安定な市況環境と言いつつも、継続的、安定的に利益を創出していることが分かる。

 これはつまり、任天堂は、不安的な市況環境を吸収する事業構造をしているということになる。ではなぜこのように過剰に厚い資本を貯めておくのだろうか?それをひもとくには、さらにさかのぼって任天堂の歴史を知らなければなるまい。

花札から始まった任天堂

 任天堂の創業は1889年(明治22年)である。著名な工芸家である山内房治郎氏(元社長の山内溥氏の曾祖父)が、京都において「任天堂骨牌」を設立し、花札事業を開始したのが始まりとされている。

 その後代を経て、タクシーから食品まで様々な事業に手を広げた。1970年代には試行錯誤の末、玩具メーカーとして強固な地位を獲得。しかし当時の任天堂は、先行投資がたたった上にオイルショックも手伝って巨大な負債を抱え、いつつぶれてもおかしくないくらいだった。

 このとき山内社長は、「娯楽の世界は天国か地獄」と言ったと伝えられている。娯楽商品はあってもなくてもいいものであり、目が覚めたら市場がなくなっているかもしれないとということである。

 ちなみに任天堂の社名の由来は、一説によると、中国の故事成語「人事を尽くして天命を待つ」から取られたという。現在の任天堂の社史には「人生一寸先が闇、運は天に任せて、与えられた仕事に全力で取り組む」と記されているらしい。

自社の理念と資本市場の原理のバランスをどうとる?

 このような歴史を考えてみれば、企業の継続的発展のために、常に資本を厚くし緊急の事態に備えようという文化が醸成されていてもおかしくはないと思う。

 だが虎の子の資金を提供する投資家にとっては、企業が内部に現金を眠らせておくことは必ずしも喜ばしいことではない。通常は、もっと積極的に投資を行いさらに利益を生み出すか、あるいは還元してほしいと思うだろう。企業側にとっても株価が下がれば、キャッシュを狙った乱用的買収者が出現する懸念もある。

 今後は日本でもますます資本主義が浸透しはじめ、資本の“コスト”に対する考えが厳しくなってくるはずだ。そんな中、この伝統ある企業が、資本市場の原理と自社の理念とを、どのように織り合わせてゆくかは興味深い。

1997年〜2007年の任天堂の業績。任天堂のここ10年の業績は、比較的安定しているといえないだろうか。

 最近はやりの安直な株主主権論や、短絡的な経済合理論に翻弄されることなく、また財務に対する保守的価値観や排他的な企業理念を頑固に堅持するでもなく、グローバル化する資本市場の中で、しなやかな舵取りを期待したい。

 投資家側も、一過性のヒットへの便乗投資や経営者の語る夢物語に踊らされるのではなく、「事業戦略(ロマン)」と「資本政策(ソロバン)」という“車の両輪”をバランスよく組み合わつつ、継続的に成長しつづける企業にこそ、敬意をもって長期投資をするべき時代に差し掛かっているのではないだろうか。

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