性善説は貧困を救えるのか――グラミン銀行の5つの考え山口揚平の時事日想

» 2007年07月10日 12時34分 公開
[山口揚平,Business Media 誠]

著者プロフィール:山口揚平

トーマツコンサルティング、アーサーアンダーセン、デロイトトーマツコンサルティング等を経て、現在ブルーマーリンパートナーズ代表取締役。M&Aコンサルタントとして多数の大型買収案件に参画する中で、外資系ファンドの投資手法や財務の本質を学ぶ。現在は、上場企業のIRコンサルティングを手がけるほか、個人投資家向けの投資教育グループ「シェアーズ」を運営している。著書に「なぜか日本人が知らなかった新しい株の本」など。


ムハマド・ユヌス氏

 ノーベル平和賞を受賞したムハマド・ユヌス氏の講演会に行ってきた。ユヌス氏は、貧困層への融資を行うグラミン銀行(バングラディシュ)の総裁でその慈善性と事業性の両立を評価されて2006年にノーベル賞を受賞した時の人である。

 さて、今回の講演は用意された300人の席が抽選になるほどの大盛況であったが、筆者は運よく当選したので、今回はその様子をお伝えしたいと思う。当日の様子は本日の日経新聞でも記事になっているはずだ。マイクロファイナンスなど、ユヌス氏の“やっていること(contents)”については以前本連載でも触れたので(4月24日の記事参照)、ここではユヌス氏の目標達成に向けた“考え方(context)”に焦点を当て、講演の内容を紹介しよう。ユヌス氏の考え方のポイントは、大きく以下の5つといえる。

  1. 既成概念ではなく、自分の信念に従うこと
  2. 性悪説ではなく、性善説を採ること
  3. 一過性のアクションではなく、構造的解決を行うこと
  4. システムではなく、目的に準じること
  5. ビジョンの力を信じること

既成概念ではなく、自分の信念に従うこと

 グラミン銀行は1983年に設立され、これまで700万人以上の人々の生活を支えてきた。バングラディシュの人口は約1億5000万人なので、実に人口の5%弱に融資してきたということになる。このようなグラミン銀行の成功の秘訣は、実は従来の銀行のルールを“ひっくり返したこと”にあるという。

 普通の銀行は金持ちにしか金を貸さない。金持ちに融資して、さらにお金持ちにするのを手助けするのが銀行の常識である。だがグラミンは、お金を持っていない貧困層に自立のためのお金を融通することが自らの使命だと位置づけた。“金を持っていない人間は金を返さない“というのは偏見であり、倫理観と経済力は比例しないことを証明したのである。

 バングラディシュは徹底的な男性中心社会で、女性は家にこもっているのが普通である。当然、銀行からお金を借りるのも男性となる。しかし、グラミンの顧客は女性が中心で、融資先の99%は女性だ。ユヌス氏は「女性は男性と違って家計をやりくりする力がある」と話す。貧困家庭でも、男性(夫)にお金を貸せば消費に回してしまうが、その妻に融資することで生活の向上につなげることができたという。これも常識外の発想だが、いわれてみれば至極合理的な与信管理の方法といえる。

 通常の銀行では、“クレジット(信用、信頼)”という言葉を使いながらも、実際には人を信用しないことを前提に制度を作ってきた。しかしグラミンでは、クレジットという意味をその名のとおり“信頼”を意味する。グラミンは法的な契約で借り手を縛るのではなく、人間的なつながりによって資金を回収する。グラミンでは担保も貸付契約書も取らない(連帯責任的な相互監視システムはあるが)。

 貸し出しにおいて法的な契約は存在せず、握手を交わしてお金を貸すだけである。そもそも小口の融資の取立てに弁護士費用をかけたら完全にペイしないからだ。それでもグラミンの回収率は99%を超えるという。契約の代わりに、お金を返済することはとても大切なことであるということを事前に伝えるのである。

 グラミンは、従来の銀行の手法を“ひっくり返す”ことによって成功した。だが、これらの手法は結果的にうまくいったのであって、最初から計算されたものではないという。

 ユヌス氏が最初に小口融資を始めたのは1973年。当初、地元チッタゴン大学の経済学部長であったユヌス氏は、村に出かけていって高利貸しに苦しめられている人をリストアップしたところ、40名以上いたという。その全員の借り入れを合計してもなんと27ドルに満たなかったので、ユヌス氏はそれを自分のポケットマネーで返済してあげた。すると村人から大変喜ばれたという。これに味を占めた(?)ユヌス氏は次に、銀行を訪ね「自分が保証人になるから貧しい人にも融資をしてほしい」と頼み込んだという。銀行が首を縦に振るまでに半年かかったがこの試みもようやく成功した。その際、銀行のマネジャーは「あなたのお金は返ってこない。なくしたと思ったほうがいい」といったが、実際には全額返済されたという。

 そしてついに、「自分で銀行を作ったほうが早い」と考え、それがグラミンの立ち上げにつながったのだ。すべては、従来の銀行業界の既成概念にとらわれず、ただ貧困問題を解決をしたいという情熱に素直に突き動かされて、正しいと思う事を選択してきた結果だと彼は言う。

性悪説ではなく、性善説を採ること

 ユヌス氏は稀代の楽天家で、常に性善説を唱える。

 氏は、「すべての人の中には無尽蔵な力が眠っている。環境がそこに整いさえしていればその力を本人が自分で引き出してくることができる」と心から信じており、それは日々のグラミンの活動の中で確認できることだという。最近グラミンは、いわゆる“乞食”に対しても貸付業務を始めた。ユヌス氏は乞食は最下層の人々だから、もし彼らに融資をして生業を持たせて所得を創出させることができれば、マイクロファイナンスの大きな成果につながるだろうと考えたのだ。実際、この試みは成功し、乞食たちは“パートタイム”の乞食になったそうだ。ユヌス氏は、今、彼らに「そろそろ物乞い部門を閉鎖するように」と呼びかけているという。

 ユヌス氏の性善説を聞いていると、本当にそんなにうまくいくのだろうか? 何か裏があるのではないか? と疑ってしまう。実際、グラミンへの批判にはその相互監視システムの仕組みなどが問題に挙げられることも多いが、それは成功の本質ではないだろう。グラミンの成功は、その根底に、人間への深い愛情(それは、ビジネスをはるかに超えるものだそうだ)を持ち続けたことにあるのだと思う。

一過性のアクションではなく、構造的解決を行うこと

 ユヌス氏は、チャリティ(慈善)で貧困をなくすことはできないと語る。貧困を克服するのは、一過性のチャリティではなく循環的なシステムである。返済を伴わない援助は貧困に対して無力である、慈善は貧困を救えないというのはユヌス氏の信念である。

 ある時ユヌス氏は、グラミンからの融資で生活を支えられ、医師を目指している大学生の青年からこんな質問をされた。「グラミンのおかげでお金を得ることができました。次は、私たちに仕事をください」と。これに対してユヌス氏はこう答えた。「仕事は与えられるものではなく、自分で創りだすものだ」と。貧困がなくなるには、究極的には一人ひとりが自ら自分の経済をコントロールする力を持つということが大切になる。グラミンは単なる小口融資を行うだけでなく、本質的な経済的自立をサポートすることを目的とした機関なのだ。

システムではなく、目的に準じること

 講演でユヌス氏は、出資者から社会的問題の解決のためにお金を募り、価値を生み出すと出資者には出資分だけ還元され、残りは内部に留保され次の問題解決に向かう仕組みを提言した。

 会場からは「そのようなシステムはすでに存在するのではないか?」という意見が出た。これに対しユヌス氏は、「そのとおり。ソーシャルビジネスはまったく新しいコンセプトではなく、すでにあるものだ。ソーシャルビジネスはシステムではない。ただ目的が違うだけである。従来のビジネスは株主を儲けさせること、利益を生むことを目的とする。ソーシャルビジネスは、問題を解決することを目的としている。世の中にはマイクロファイナンス(小口融資)の仕組みはたくさんある。ただ本来のマイクロファイナンスの目的は高利貸しから身を守るためのものだ。しかし世の中には、高利貸しそのもののマイクロファイナンスもある。すべてはシステムではなく、目的の違いなのだ。」と答えた。

 多くの人は、ビジネスの体裁や形態、システムの構築にこだわる。どうやったらグラミンのような成功を収めることができるのか? グラミンのシステムはどのようになっているのか? だがユヌス氏は、それらは大したことではないと考えている。大事なのは目的であり、システムはそれに準じるべきだ、と一貫して主張する。

ビジョンの力を信じること

 今回の講演のパネルディスカッションのパートでは、国際協力機構や国際協力銀行のトップも参加していたわけだが、ユヌス氏の圧倒的なビジョンの前に並び負けていたと思う。他のパネラーたちが、“出来ない理由”を挙げ連ねるのに対し、ユヌス氏は、ビジョンの大切さを繰り返し説いていた。

 日本の円借款についても、政府機関側のパネラーは、失敗を吸収する柔軟性を持てないことや法律の枠組みを超えられない等を理由にユヌス氏の提言をやんわりと否定していたが、氏は、「そもそも開発途上国への支援を実現するために政府機関を作ったのであるから、変えるべきは目的達成の手法ではなく、法律の枠組みの方ではないか?」と逆に問いかける。

パネルディスカッションには、緒方貞子氏も登場した

 また会場から出た「グラミンのような試みは、民間ではなく政府が担うべき役割ではないか?」という質問に対しても、「隣の家が火事で燃えている時に、君は単に消防車を待つだけかい?」と答えたり、「バングラディシュのようなイスラム国家で、利子を取るシステムは障害はないのか?」という問いにも、「どんな挑戦にも障害はつきもの。むしろ私がキリスト教だったらもっと大変だっただろう(笑)。それに宗教的問題よりもジェンダー問題、つまり男性でなく女性に融資することのほうが障害は大きかった」と切返したりした。そして最後には「人生というのは、問題のジャングルを切り開くことだ」と締めくくった。

ユヌス氏は言う。「過去20年に起こったことを予想することのできた人は一人もいなかった。これからの20年に何が起こるかを予測することはできない。私は貧困を撲滅させることができると思う。将来は“貧困博物館”を作って、子供たちに、貧困という骨董品をわざわざ紹介するようになるよ(笑)」

ユヌス氏の発言の後は、大きな拍手が続き、会場は活気にあふれたものになった。終了時間を30分以上のオーバーした今回の講演だったが、途中で席を立った人はわずかであった。今回の講演の参加者はみな大きな元気と勇気を得て帰路についたのではないだろうか。私自身も本当のビジョナリーに会ってすがすがしい気持ちで会場を後にした。

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