「今すぐ海外に行きたい」――平均月収15ドル以下。社会主義国キューバの厳しい現実ロサンゼルスMBA留学日記・番外編

» 2007年06月05日 10時30分 公開
[新崎幸夫,Business Media 誠]

著者プロフィール:新崎幸夫

南カリフォルニア大学のMBA(ビジネススクール)在学中。映像関連の新興Webメディアに興味をもち、映画産業の本場・ロサンゼルスでメディアビジネスを学ぶ。専門分野はモバイル・ブロードバンドだが、著作権や通信行政など複数のテーマを幅広く取材する。


 先日、MBAプロジェクトの一環としてキューバに行ってきました。複数の国営企業を訪問しつつ、同国の実情を探る……といった主旨ですが、いろいろなことがあって大変興味深い体験となりました。今回は「MBA留学日記:番外編」ということで、その様子を紹介します。

キューバは米国の南、カリブ海に浮かぶ島国。人口1100万人程度、面積は11万平方キロ(日本は38万平方キロ)と小さな国家です

 米国政府とつながりの強かったバティスタ独裁政権を倒した英雄フィデル・カストロによって、キューバでは社会主義政権が樹立されました。一時は旧ソ連との結びつきも強く、キューバにミサイル配備の動きがあったこともあって、米ソ間の軍事的緊張が高まるきっかけともなりました(1962年のキューバ危機)。米国は現在もキューバに対し、経済封鎖を行っています。

 2006年以降はフィデル・カストロの健康状態が悪化し、弟のラウル・カストロが政務を執っている状況です。仮にフィデル・カストロが死去すれば、その後の体制がどう転ぶか、海外諸国から注目が集まっています。

月給、わずか15ドル

 キューバといえば野球やバレーボールに代表されるようにスポーツが盛んで、文化面でも南国らしい音楽・ダンスなどが有名です。そのため、どこか陽気で明るいイメージがあります。しかし現地の人間に話を聞いてみると、生活はかなり厳しいようです。

 米国政府関係者の推測によれば、キューバ国民の平均月収はわずか15ドル。つまり2000円以下です。多くの国民が海外での暮らしにあこがれており、学生たちは「パリに行ってみたい」「ニューヨークに行きたい」といった思いがあるようです。親族が米国で働き、その仕送りによってなんとか生活しているという家庭も少なくありません。

 「社会主義=すべてが平等な理想社会」と聞いた人の多くは、この現状を信じたくないと思うかもしれません。現実問題として、国民は貧困にあえいでいます。ある現地の人は「社会主義のシステムなんてクソくらえだ」と吐き捨てるように言っていました。ちなみに、公の場でこれを主張すると「反政府運動」ということで、死刑よりも重い罪になります。

 我々の旅に同行したある現地の男性は、スペインへの逃亡を考えています。既にスペインに移住するためどのような条件が必要か、詳細に調べ上げていました。キューバ国民が海外に出ようと思ったら、政府への申請が必要です。しかし大半は脱出目的なので、なかなか許可が下りません。海外の大手企業から「この人間を雇いたいから出国を許してほしい」という紹介状を書いてもらうなど、限られたケースでしか出国が認められないそうです。また、この男性は家族を抱えているため、さらに脱出が困難になります。16歳以下の子供には認可が下りないからです。

 しかしこの男性は、観光関連の仕事に従事しているため、旅行者からのチップなど臨時収入に恵まれています。5ドル程度のチップでも、キューバ人にとっては月給の3分の1の価値があります。また、海外にコネクションができるというのも、紹介状を書いてもらう上で大きなメリットになるでしょう。

 この男性は仕事柄、海外とやりとりをするためにインターネットが利用できます。ただし、メールアドレスなどは闇市場で手に入れなければなりません。料金は月額20ドル、一般の人が手を出せる値段ではありません。男性は、それだけの価値があると判断してサービスを利用しています。「先日は、なぜか分からないがサービスがダウンしてしまったんだ。だから、また別のサービスを手配したんだよ」と言っていました。

 ちなみにハバナ大学で出会った学生は、メールアドレスを持っていました。学生にはネット環境およびメールアドレスが支給されるようですが、これは例外です。

キューバの街の風景。国民の平均月収は15ドル

「いつか海外に行きたい、ではない。今すぐ行きたい」

 観光業での職を得るために、この男性は多くの努力をしています。語学に関しては、母国語であるスペイン語のほかに、イタリア語、英語、ロシア語の4カ国語を学んでいます。一般にキューバ人の教育水準は高く、この男性のように複数の言語をしゃべれる人間は少なくありません。

 「教育はタダだからね」と男性は笑います。社会主義の関係で、どんな人間でもある程度の教育、医療を受けられるような制度ができています。ただ、足りていないのは「職業」です。高学歴の人間に見合うだけの、高給を約束された職がないのです。

 「海外に行けば、あなたのように複数の言語をしゃべれる人間は重宝されるのではないか?」と尋ねたところ、男性は苦笑いしてこう答えました。「……残念だけど、もう私は歳をとってしまった」。いつか海外に出たいか、という問いに「いつか行きたいのではない。今すぐ行きたいんだ」。その声のトーンからは、早く海外で人生を立て直したいという焦りのようなものが見て取れました。

売春あっせんのポン引き

 深夜に街をうろついていると、ある男性が近寄ってきました。彼は旅行者向けのガードマンの仕事をしており、スペイン語、英語、ギリシャ語など5カ国語を話せるとのこと。裏の顔として、旅行客向けに売春のあっせんもしているとのことでした。キューバでは、1人の人間が複数の収入源を持つことは珍しくありません。

 「一晩の値段はいくらか」と聞いてみると、60ドル程度だと言っていました。この売春婦は、それなりの教育を受けた女性だそうです。複数の資料が報告するところでは、キューバでは職がないがために、売春を行う女性も多数いるそうです。

 「(女性は)いらない」と断り、彼の生活水準についていろいろと質問してみました。やはり月収は10数ドル程度で、ネット環境はなし。会話の端々に、我々旅行者からなんとかしてチップをもらいたい様子がうかがえます。「海外に行きたいか」という問いには「ふーっ」と遠くを見つめながら「海外に行きたくない人間なんて、いないよ」と寂しそうに答えていました。

革命の際にカストロと共に戦った英雄、チェ・ゲバラ。街には彼の肖像画が描いてあります

 ひとしきり話し込んだあと、彼が愛想よく笑いながら「ホテルに戻るんだろう?タクシーを呼んであげるよ」と言いました。なかなかタクシーがつかまらないと見るや、「こっちの方に行けばタクシーがつかまりやすい」と歩き出しました。我々はその夜、2人連れだったのですが、1人で歩く彼の後を着いて行くことになりました。キューバの治安はさほど問題ないとはいえ、裏道を歩きながら我々は「ひょっとすると彼は我々に危害を加えるかもしれない。十分に気をつけろ」とささやきあいました。

 結局タクシーはなかなか見つからず、彼はホテルの方角に向かって歩いていきました。我々が滞在するホテルは実はたいして遠くなく、タクシー料金にして2ペソ(2ドル程度)、徒歩でも10分ほどでたどり着きます。ホテルが見える所まで近づくと彼は「あれが君たちのホテルだよ」と指差しました。危害を加える気はないらしい、と安心した我々2人は財布を取り出しました。ささやかなチップを渡そうと思ったからです。

 すると彼はこう言いました。「OK、私には子供がいて生活が大変だ。2人で5ドルずつでいいよ」。「どういう意味だ」と問い返すと、どうやら2人で5ドル、計10ドルのチップをよこせということらしいのです。「いやー、それはないよ。タクシーに乗ったとしても2ドルだったんだから。君は道案内しただけだろ」と我々。彼は「2ドルと3ドルでもいいよ」と必死でした。

 結局2人で、3ドル程度渡しました。それでも彼の月収からすればそれなりの額だったはずです。お金を受け取ると彼は一切の愛想笑いを捨て、お前たちに用はないとばかりに夜の街に消えていきました。残された我々は「最後に彼はガラッと態度を変えたなぁ」と話し合いました。なんとなく、寂しさが残ったキューバの夜でした。

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