クーデター勃発か――トルコの大統領選藤田正美の時事日想

» 2007年05月14日 00時00分 公開
[藤田正美,Business Media 誠]

著者プロフィール:藤田正美

「ニューズウィーク日本版」元編集長。 東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”」


 トルコの大国民議会では4月27日、次期大統領を選ぶ投票が行われた。セゼル現大統領が7年の任期満了に伴う選挙である(トルコの大統領は国民の直接選挙ではなく、議会で選ばれる)。与党・公正発展党(AKP)が大統領候補としてギュル外相を推し、それに対する信任投票という形になった。大国民議会におけるAKPの議席は、550議席のうち352議席である。これでは当選に必要な3分の2には届かず、2回目の投票が予定された。

軍からの声明は「クーデター」か

 その時に軍のウェブサイトに出たのが「軍は懸念を持って情勢を注視している」という参謀本部名の声明だ。つまりギュル外相の大統領就任に軍が反対し、場合によっては実力行使(つまりクーデター)もありうると「脅迫」したのである。規定では第1回投票、第2回投票で3分の2を獲得できない場合は、第3回投票で過半数を取ればよいことになっている。このまま行けばギュル大統領誕生は必至という情勢の中で軍が動いた。

 軍だけではない。野党・共和人民党(CHP)は、第1回投票の時、議会が3分の2の定足数を満たしておらず、投票は無効であると憲法裁判所に訴えた。そして憲法裁判所は、この訴えを認めた。エルドアン首相は再度議会を招集しようとしたが、野党がボイコットすれば定足数を満たすことはできない。そのため今年11月に予定されていた総選挙を繰り上げて6月か7月にでも実施し、民意を問うことにしている。

軍と政治と歴史

 トルコの軍部は、政治と密接な関わりを持っている。トルコ革命を主導し、共和国の初代大統領となったケマル・アタテュルクは、国是として脱イスラム化を強力に推進した。それがいわゆる世俗主義である。イスラムの政治的な教義から離れて、西欧的な民主主義国家を作るということでもあった。軍はその世俗主義の守護者として、たびたび行動を起こしてきた。1960年と80年にクーデターを起こしたが、1980年のクーデター以降、とりわけ世俗主義の擁護者としての性格を強めている。たとえば、1990年代に穏健イスラム派政党の福祉党が台頭し、政権の座についたが、憲法裁判所よって解党命令を受けた。その影には国家安全保障会議を通じ、軍部が福祉党政権に対して圧力をかけていたという事実がある。

 今回、軍が行動を起こしたのは、エルドアン首相とギュル外相が穏健派とは言いながら、熱心なイスラム教徒であること、そして議会、行政府、大統領という「3冠」をイスラム系政党に押さえられてしまうと、現在の世俗主義を骨抜きにされるという懸念を持ったからだとされている。

トルコとEUの関係

 現在、トルコはEU(欧州連合)への加盟を交渉中。この加盟交渉は2005年秋から始まっているが、それでなくてもトルコの加盟について、EU諸国はそれほど熱心とはいえない。EUに加盟するためには、トルコは加盟国すべてを承認する必要があるが、キプロス共和国をトルコは認めていない。さらにトルコの労働者がEU域内に大量に流れ込めば、労働市場に混乱をもたらす可能性もないとは言えない。つい先日、フランス大統領に当選したサルコジ氏は基本的に反対の姿勢を示している(参照リンク)

 ただトルコの地政学的な地位は極めて重要である。ロシアを経ずに中央アジアからエネルギーを輸送できるルートの要衝を占めているからだ。しかもトルコはNATO(北大西洋条約機構)の中で、アメリカに次ぐ軍事力(50万)を持っている国である。基地の提供などアメリカとの関係も強い。その意味で西側諸国は、世俗主義は維持してもらいたいものの、軍の介入は望ましくないというややジレンマに陥っている。

 この先、トルコの政治がどのように動いていくかは予断を許さないが、エルドアン首相は総選挙で圧倒的に(つまり3分の2以上の議席を獲得して)勝てれば、大統領候補に再びギュル外相を立てることもありうるだろう。そして経済運営がうまく行っていることから、AKPが圧勝する可能性もあるのである。しかしそこで民意を背景にエルドアン首相とギュル外相が強行突破を図ったりすれば、軍が黙っている保証はまったくない。そうなったら中東から中央アジアにかけてまた一気に緊張が高まる恐れもある。

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