エコロジーブームの中で、エコノミーの意味を考える山口揚平の時事日想

» 2007年04月03日 00時00分 公開
[山口揚平Business Media 誠]

 2007年は本当の意味で、日本におけるエコロジー&エコノミー元年だと思う。

 例えばエコロジーに目を向けると、LOHAS(ロハス)に端を発した過剰な健康志向がブームになった。また、ホンダがF1の車に広告を一切載せず、代わりに環境と地球をテーマにしたカラーリングを取り入れたり、アル=ゴア米国元副大統領が出演して地球温暖化の危険を訴えた映画「不都合な真実」が異例のヒットになったり、といった話題を思い出す。「いつから日本人はそんなにエコロジーに敏感になったのか」と不思議に思うこともあった。

 しかし、ホンダのF1カーについてはある環境保護団体が「F1は一般車の9倍にもあたる二酸化炭素を排出している」とさっそく噛みついている。また“地球温暖化の問題を訴えるゴア邸の電気代は数百万に上る”など、皮肉な話も聞こえてくる。

 主張と実践のギャップを批判するかどうかは別としても、今年の桜の開花時期一つ見ても、温暖化が進んでいることは間違いなさそうだ。昔は冬になると、当然のようにあった畑の霜柱を見ることも最近は少なくなった。子供の頃、土の上を歩くとサクサクした、あの感触が楽しめないのは残念だ。

 エコノミーの分野では、ようやくやってきた資本主義の波に、我々日本人は存分に翻弄されまくっている。2005年に一大ブームとなった株式投資は、2006年に相場が冷えると一気に関心が失われ、2007年はのっけから粉飾・不正ブームで盛り上がっている。

 日本の投資家は自ら企業を分析する目を持たないから、企業の利益が急成長すればすぐに飛びついて騙される。だからちょっと目端の利く経営者なら、必死になって事業を推進するより、会計上の利益を「創って」、株価を上げたほうが楽だと考えるのは当然だ。資本主義の世界では、株価は貨幣そのものであり、世間の評価でもある。株価とは移ろいやすいものでありながら、それ自身が大きな力を持つ。

会計操作、粉飾会計は“創造的会計”

 ところで米国では、粉飾にも何段階かレベルがある。ちょっとした会計操作は「クック(cook:調理)」といい、かなりグレーなものを「バーン(burn:焼き尽くす)」という。そしてこのような会計操作を、一般に“クリエイティブアカウンティング(創造的会計)”と呼ぶ。粉飾は、所詮、程度問題であるから、投資家は、真実を見抜く目が求められる。その意味で日本の投資家は甘く、知識もない。

 そんなわけで、エコロジーもエコノミーも、昨今なんだか滑稽な形で、われわれの生活に影響を与えつつある。ここでは、エコロジーとエコノミーの両者は、一体どういう関係にあるのかを考えてみたい。

 最近、日本がロシアからCO2(二酸化炭素)の排出権を2000億円で買うかもしれない、という報道があった。それを聞いて違和感を覚えた人は多いのではないだろうか。その違和感とは「環境というのは果たしてお金で取引していいものなのだろうか?」というものだ。

 「私達は一体、どこまでお金で取引していいのだろうか。」ここでは、そんな素朴な疑問を考えてみたい。

 米国では、裁判をお金で買えるといっても過言ではない。陪審員制は、モラルでなく資本(買収)に基づいて判断を下す可能性を常にはらんでいる。また、高額医療という点を見れば、実は“命もお金で買える時代”といえる。では臓器売買は許されるのか? 月の土地は買えるのか? 会社はどうだろう?

貨幣の本質

 そもそも、お金とは一体、何なのだろうか。

 昔々、お金は、モノとモノを交換するための媒体だった。お金という媒体によって、人はモノを流通させ、分業することができるようになった。

 「僕は肉を捕るから、君は魚を捕ってよ」そういう形で分業が行われると、職業の専門化が進み、文明は進化してきた。肉と魚を交換する手段には、貨幣を使う。貨幣は肉や魚と違い、時間が経っても腐らない。価値が減らない(原則として)という特質があるからだ。つまり貨幣の本質は、誰かが何かに集中することによる分業の促進にあった。こうして社会は発展し、いま我々は資本主義の中に生きている。

 だが本来、人はどこまで分業をしていいのだろうか。一方にはCO2を排出する人がいて、その結果地球温暖化が進み、他方では海面が上昇して家が海の底に沈む人が現れる。こうした現実さえもお金で媒介してしまうのが今の世界だ。これは“アリ”なのだろうか?

 いくらお金があっても交換できないもの、すべきではないもの。人はそれを「モラル(倫理)」という。お金があっても、ペットボトルをリサイクルしなくてはならない。お金があっても人を殺してはならない。お金がなくても、医療は受けられなければならない。

 モラルとはそういうものだ。お金で交換してはいけないもの。すべての人がコミットすべき社会のルールなのだ。

 2007年、エコロジーがブームになっているのは「エコノミーが駆逐できない最後の聖域として、エコロジーが台頭してきたからではないか?」と、ふと思う。われわれの“最後のモラル”である環境保護と、すべてをお金で交換しつくす資本主義。互いにぶつかりあう2つのムーブメントの中で、今、私達が考えるべきことは、「お金で買えるものと買えないもの」を、線引きすることなのかもしれない。

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