携帯電話ビジネスのプロは、なぜソフトバンクに移ったのか──ソフトバンクモバイル松本氏に聞く(前編)Interview(1/2 ページ)

» 2006年10月06日 19時55分 公開
[神尾寿,ITmedia]

 10月1日、携帯電話会社としてソフトバンクモバイルが誕生した。それに先立つ9月28日には、ソフトバンクブランドの新端末と新サービスが発表され、番号ポータビリティ制度開始の直前に、新たな船出をすることになった(9月28日の記事参照)

 今日の時事日想は特別編として、ソフトバンクモバイル取締役執行役副社長 技術統括兼最高戦略責任者(CSO)の松本徹三氏にインタビュー。ソフトバンクの中長期戦略と新天地での想いについて聞いた。

日本の携帯電話産業を「世界のプレーヤー」に

Photo ソフトバンクモバイル取締役執行役副社長 技術統括兼最高戦略責任者(CSO)の松本徹三氏

 周知のとおり、松本氏の前職は米Qualcommの上級副社長である。Qualcommは世界でも類い希な研究開発力を持つシステムサプライヤーであり、第3世代携帯電話の基本特許の多くを保有する。日本でも、au向けの3G技術や端末チップセットの大半をクアルコムが担っているほか、ドコモ向け端末の一部にもチップセットが採用されている(6月1日の記事参照)

 携帯電話産業の中で先端かつ重要な位置を占め、世界的なビジネスを展開するQualcommから、日本市場の1キャリア、しかも業界第3位のソフトバンクモバイルへ(8月22日の記事参照)。松本氏はどのような想いで、転職を決断したのだろうか。

 「転職を決意したのは、孫さん(孫正義社長)から『日本の情報通信が今のままでいいと思っているのか。自分はこれを変えて、(日本の情報通信産業を)世界一にしたいんだ』と言われたからです。『日本のために働いたらどうだ』という言葉にグラッときたんです。

 私はこれまでずっと情報通信ビジネスに関わってきました。ネットサービスよりも通信の世界を歩んできたわけですが、この分野で(日本の携帯電話産業が)もっと早く動いていいんじゃないかという気持ちがありました。また日本の状態が、自ら殻にこもっていて内弁慶になってしまっている。日本の中ではいいのですけれど、高コスト構造で世界のプレーヤーになりきれていないんですね。いろいろな意味で、心の中にモヤモヤしたものがあったのです。不完全燃焼だった。

 孫さんのエネルギーと執念なら、これ(日本の携帯電話産業)を変えられるかもしれない。それを私が助けられるとしたら、人生の最後の仕事にしてもいいかな、と思いました。(転職を決意したのは)完全燃焼できるかもしれない、という気持ちなんです」(松本氏)

 日本の携帯電話産業は、日本という地域の中に限れば爆発的な成長を遂げた。しかも、その内容は最先端であり、濃密で充実したものであった。しかし、その一方で、日本の携帯電話産業が自動車や家電のような輸出産業になっていないのも事実である。

 「私の個人的な思い入れの1つが、日本の通信産業、通信機器メーカーに“世界のプレーヤー”になってほしいということです。(日本の携帯電話産業は)今では技術力もあるし、いろいろな面で優れているのに、あまりに(海外市場と)かけ離れた特殊な世界を作ってしまっている。

 私はQualcommにいたわけですが、(本国では)日本のことがほとんど話題にならない。ドコモがiモードを始めたときは話題になりましたし、おサイフケータイは確かに注目されていますよ。しかし、それが世界に通用するかというと、『日本は特殊だからねぇ』で片づいてしまっているんですよ。日本の端末メーカーに至っては、苦笑いされて終わりなんです。

 (アメリカで)話題になるのは、ノキアとモトローラの2大巨頭、あとは韓Samsungや韓LG電子といった韓国メーカー、それから中国の新興メーカーたちなんです。日本のメーカーは全然(話題に)出てこない。私が日本のメーカーの話をすると、『ああ、おまえは日本人だったな』と言われる。

 (日本メーカーは海外市場で)期待されていないんですよ。寂しいじゃないですか。日本のメーカーは技術力が高いし、開発者が夜も寝ないで働いているのに、なんで世界のプレーヤーになれないのか」(松本氏)

 日本の携帯電話産業を世界のプレーヤーにしたい。これはクアルコムジャパン時代から、松本氏が繰り返し話していた想いだ。しかし、クアルコムという立場からでは「どうにも歯が立たなかった」(松本氏)という。

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